【ワンドリンク必須!?】

数年前から、「貸しホール」スタイルのライブハウスでも「ワンドリンク注文必須」ってところが増えてきた。
しかも、最初は1ドリンク300円位からスタートし、500円で暫く定着してたが、最近更に値上がりしてるらしい。
らしいというのは、ココ最近「貸しホール型のライブハウス」で演奏してないからなんだけど…。

そもそもね「貸しホール」なんだから、ホールのレンタル料金支払えば、場所貸してくれるんじゃないの?
てか、主催側は貸しホールのレンタル代払えばそれで良いけど、そこに来るお客さん…。(。-_-。)
チケット代の他にドリンク代必須とかね、お客さんかわいそうだよね。

このね「ライブハウス」って商売、前からオレは文句言ってるけどね。
「本来のライブハウス」ってのは、生バンドの演奏はどっちかと言えばオマケなんだよ、オマケ

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【青山のクラブ「蜂」】

そもそもコレは本質的に「罪」なのか?

「特定遊興飲食店」の無許可営業の罪で経営者が逮捕されたんですが、果たしてコレは本質的に「罪」なのでしょうか?
「違法行為」で有ることには違いないのですが、そもそも「違法」とされる前から、このお店は営業してたそうです。
「特定遊興飲食店」の営業許可を得るには、特定の許可地域で営業するときしか許可が降りません。
つまり、許可地域以外では、申請しても許可が降りないのです。
この青山のクラブ『蜂』はその特定地域から外れていました。なので、そもそも許可を得ることは現行法では不可能なのです。 しかし『蜂』は、その「特定遊興飲食店の無許可営業」が違法に成るずっと以前からそこに存在してたそうです。
クラブ『蜂』のオーナーは、以前からこの点の改善要求を専門家を通じて国に訴えてたそうです。

法律として定められている以上、その法律を守って営業している業者がいる以上、違法状態を放置してよい訳では無いのですが、今回のこの処遇はかなりの違和感を感じます。
これは、他にも沢山あるんですが、例えばタトゥー問題とか、法律が定まるずっと以前から存在し、事実上、近年まで法規制は行われて居なかったにも関わらず、現状を無視した強引な法制によって、大半の彫師が違法行為を行ってる事になってしまうとか…。 Continue reading “【青山のクラブ「蜂」】”

【ワンセグ携帯に受信料義務ぅ〜?!?!?!】

https://www.jiji.com/jc/article?k=2017122700724&g=soc

ここ最近のNHK関連の訴訟問題は何か不穏当な空気を感じる。
まぁつまり、NHKは裁判所に実弾打ち込んでんじゃねーのか?って言う懸念が拭いきれないって事なのだが…。

ワンセグ携帯って、受信機能は備わってるが、それが主目的で使われる機械ではなく、受信はあくまでオプションであるので、これを「受像機」と定義してしまうことに物凄い違和感を感じる。

そもそも、受像機を設置したら契約義務があるという判断もおかしい。
本来契約とは双方の合意の元に行うものであり、一方が拒絶することで、強制的には締結できない事になっているが、NHKだけ例外に成っていると言う、この「特別処置」に大いなる違和感を感じる。

NHKが真っ当に商売するには、2つの方法があると思う。

  1. 完全に国営放送として、全ての経費を税金で賄うことにする事。
  2. スクランブルを掛け、契約者以外には放送を見せないことにする事。

このどちらも選択すること無く、放送法を楯に裁判されている。

放送法が制定されたのは、昭和25年。
つまり、戦後の復興期に制定されている。
テレビはやっと実験放送が始まった頃で、恐らくはこのテレビ放送事業促進に向けてこの法律が制定されたと思われる。

当時一般家庭にテレビは存在せず、一部の金持ちや企業、自治体等がテレビを所有しており実験放送を受信していたはずだ。
当時のテレビの社会的な存在から考えて「受像機はNHKしか受信しない。」ことが明白であり、受像機を設置すればそれは即ちNHKを見ることが目的である事が明白なため、受信契約をすることに何の異議も感じない。

対して現代は、NHK以外にも複数の放送局が存在し、NHKと同等かそれ以上の影響力を持っている。
つまり、受像機も必ずしもNHKを受信するのが目的ではなく、放送法で定められてるNHKの存在意義はかなり薄れてしまっているので、その根本的な考え方から変える必要があるはずなのだが、放送法の基本的主旨は、昭和25年当時のままなのだ。

当時の放送の形態と現在では著しい離反があり、当時の感性で現代の放送を捉えること自体がすでにナンセンスだと考える。
現在の「テレビ放送」は多種多様なメディアの中の一部として存在しており、かつてのような国内唯一のメディアでは無くなって居るので、独占的な解釈はそろそろ実態にそぐわない事になって来ているのは自明なはずなのだ。
にも関わらず、その時代的感性のズレを補正せずに、昭和25年当時の感性のまま行われている判決には強い憤りと違和感を感じるわけだ。

願わくば、裁判所はもっと時代にマッチした公平な判断をしてほしいものだ。

さて、選挙が近いから話が濃いよ!w

自己主張するってことは、自分にとっての敵味方をハッキリさせる一つの方法だと思うのですよ。

その自己主張の中身に嘘があった場合、本来敵であるはずの連中が勘違いして味方だと思って寄り添ってくる。
しかし、実際には敵なのでどこかで手のひらを返される訳ですよね。
 
どんな場面でも、嘘がまじると判断を誤る。
嘘を見抜く力が必要だと言われるが、本来ならば嘘はつかないってのがデフォルトであるべきなんだよね。
だけど、人間は悲しいかな性善説は幻なんですよ。
クリスチャンの人ならわかると思うけど、人は罪深きものなんですよね。
だから、嘘もつくし悪いこともする訳です。
だから、嘘を見抜く力が必要なんですね。
 
さて、こんな当たり前の話がなんで今されてるか?
つまり「政治家の嘘を見抜けよ!」って事なんですよ。
我々有権者が自国の命運を判断する材料は基本的に政治家の言葉しかないんです。
その政治家が嘘を言ってたらどうしますか?
 
「基本的人権は無くしません。」とテレビで言ってた自民党政調会長。
その彼女が参加してるとある民間団体では、「国民主権、基本的人権、平和主義〜〜〜この3つを無くさなければですね、ホントの自主憲法にはならないんですよ!」って言ってる元法務大臣に拍手喝采な訳ですよ。
でも、自民党の憲法改正草案の中には成る程ちゃんと残ってる。
でもね、信じられますか?って事です。
 
あれは「草案」に過ぎないんです。
安倍総理は「(改正案は)これから考える」と明言してます。
つまり、あの草案は今後討議の結果変更される前提で作られてる叩き台でしかないんですね。
保守派のネトウヨ工作員は、まるであれが最終結論みたいに言いますけどね、けしてそんなことはない。
自民党が連立でも2/3以上の議席を取れば、あの草案を叩き台にした国家主義憲法に書き換わるわけです。
 
本来ならば表に出てこないようなビデオが最近出回ってます。
あの得体のしれない民間団体の講演会のビデオです。
前法務大臣が「国民主権、基本的人権、平和主義〜〜〜この3つを無くさなければですね、ホントの自主憲法にはならないんですよ!」って言ってるあのビデオです。
あれが本音です。
 
これまで、憲法は触れてはいけないものでした。
自民党はその憲法を必要であれば変更できるものにしようとしています。
あとは簡単です。
国民を縛る法律をポンポン作れば良いだけ。
「そんな事するわけがない!」と思ってる保守派のあなた。
そろそろ思考停止したまま日和るのは止めましょう。
 
するんですよ。
特にこの安倍政権は「国民の理解を得てるとは言いがたい。」と総理自ら語った安保法案を「十分審議した」と言い張ってえげつない方法で強行可決させてます。
また、国民の権利を左右するような特定秘密法案も、どさくさに紛れて可決させてます。
そういうやり方をする内閣なんですよ。
最後は憲法改正。
こうして、日本は旧ナチスドイツみたいな安倍総理による独裁国家に変わってゆくわけです。
陰謀論でもトンデモ論でも何でもない。
今までの自民党の動きを見ていれば、この程度のシナリオは読み解けるレベルでしょう。
 
最初は穏やかに、最終的には国家主権を成立させて、国民を実質的に奴隷化させるでしょう。
だから、当り障りのないことを言って国民の味方のような顔をしてるわけですが、彼らは味方ではありません。
 
むしろ、謀反を起こそうとしてる訳です。
国民主権の現在、政治家は「国民の代表」であって、「統治者」ではありません。
そんな彼らは、自らが合憲的に「統治する為」に憲法を書き換えようとしてます。
その企みは狡猾に進められて来ました。
今回の選挙はその企みにとって大きなターニングポイントになります。
歴史に残ります。
 
だからこそよく考えて、本当に憲法変えちゃっていいのか?って部分を深く考えてみてください。
「憲法変わっても、国民生活は大した変わらんよ。」と思ってるあなたは、特によく考えてください。

で、選挙が近いがホントにこのまま自民党で良いのか?w

で、選挙が近いがホントにこのまま自民党で良いのか?w

 
「国民の生活が大事なんて政治はですね、私は間違っていると思います。」とかサラッと真顔で言う自民党政調会長の稲田さんとか、「国民主権、基本的人権、平和主義〜〜〜この3つを無くさなければですね、ホントの自主憲法にはならないんですよ!」とか言っちゃってる元法相の長瀬さんとかね、自民党選んだら憲法を国民主権から、国家主権(君主主権)へ変えられてしまうよ。
 
もうね、アベノミクスが〜とか、9条がどうしたとか、TPPがどうのとかって問題じゃないんだよね。
もっと根本的なところからヤバイんだよ。
 

今の自民党は中道右派じゃ無くて、極右だからね。

黒バスの右翼団体と何ら変わりない。

 
そんな連中に国を任せて良いのか?って本気で考えた方がいいよ。
特に思考停止中の中道右派とか、保守派とか言われるみなさん。
自民党に任せときゃ安心とかね、今は1955年じゃ無いんだよって事を真剣に考えた方がいい。
 
昔は、社会党が自民党の独走を阻止していた。
だからこそ、元々右翼だった自民党は中道に収まってただけであって、今、自民党を抑える野党勢力が事実上無くなってしまっている状態で、自民党はいよいよ本格的に右翼としての本領を発揮しようとしてる訳。
ネトウヨが工作員として暗躍し、じわじわと思考停止層を洗脳してる。
戦後教育の賜物で、「なんとなく自民党支持してれば安心…」見たいな狂った考えをマトモだと思い込んで、考える力が無くなってるのを良い事に自民党の洗脳は着々と進んでる。つまり野党に力が無くなってる今こそ、自民党は独善的な政治を好き勝手に進めることが出来る訳。
 

オレはね、今思うとあの2009年の民主党が圧勝した選挙。

あれすらも、自民党の工作じゃないかと疑ってる。

つまり、他党の出来の悪さを国民に知らしめる為に敢えて政権を譲ったと思のだ。
当時の民主党の政治はハッキリ言ってグチャグチャだった。
国民の支持は民主党をはじめとする当時の与党勢力(つまり現時点での野党勢力だな)から殆ど離れてしまった。
 
となると次は自民党圧勝が確約され、悲願達成のチャンスが訪れるわけだ。
 
その自民党の悲願は、戦後直後から言い続けてる「憲法改正」にある事は今更説明の必要も無いだろうけど、今回争点隠しと言われてる部分でもあって、なんで隠すかって事をよく考えた方がいい。
つい先ごろまで憲法改正が悲願とか言ってた奴らが、選挙に成ると経済の話しかしなくなる。
何故だ?
 

人は疚しいことがあると隠したく成るものだよね。

つまり、悲願の「憲法改正」は国民の意思に反しているってことでしょう。

だから隠したい。

この前の安保法制もそうだった。
「国民の理解を得てるとは言いがたい。」と総理本人がテレビで言ってたのに、その3日後には強行採決されてる。
国民の理解を得られてないものを議会が勝手に可決して良いのか?
主権は何処にある?それこそ憲法違反じゃねーのか?と思う。
 
これで連立でもなんでも2/3以上の議席が取れれば、経済政策よりも憲法改正に力を入れるのはもう明白なんだよね。
強行採決なんかしなくともすんなりと可決されちまうだろうから。
そして国家主権(君主主権)に書き換えられたら、議会が「もう選挙制は止めて、世襲制にしよう。」とか言い出すと、それも簡単に決まるんだよ。
そうすると北朝鮮見たいな血族に依る完全独裁国家の出来上がりだ。
 

もうアベノミクスがどーしたとか、TPPがどうのとか言ってる場合じゃない位に緊急事態だってことに気がついてほしいね。

 
で、下のリンクを見てくれればわかると思うが、未だかつてコレほどの暴言を聞いたことが無いくらいに狂った発言を真顔でしてるんだから、本気で考えた方がいいと思うよ…。
 

【世界お花畑運動】始めました!w

ナンノコッチャっと思うかもしれませんが、まぁわかりやすく言うと、反戦運動です。
でも具体的に何かしようとか思ってるわけでもなく、単に意思表明する人が増えれば、無視できなくなるだろ?ってな発想なわけです。
で、その意思表示として、FB上のアイコンにお花のデザインを入れて意思表示しとこうと、そう言う運動です。
 
http://kiya-hen.net/data/ohana.png
http://kiya-hen.net/data/ohana2x.png
 
に、それぞれ大小のテンプレ画像(PNG)があるので、コイツを自分のアイコンに重ねてください。
それで、運動参加者という意思表示が出来ます。
 
で、何でこんなことしてるかと言うとですね、切っ掛けは2015年に入って本格的に表沙汰になってる「安保法案」通称「戦争法案」を巡って色々と民間でもSNSレベルでも各所で議論が巻き起こってまして、このままだと新安保法案が可決してしまい、日本は「戦争が出来る国」に成ってしまうだろうという不安から、安保反対を叫ぶことに成ったんですが、その反対の理由として、
1)憲法9条をそのままにして、戦争一体化が進むような法案には当り前に反対。(ヤルならまず憲法改正が先だろ?)
2)自衛隊はジュネーブ条約における軍隊ではないので、国外での軍事活動は国際法に抵触する恐れが有るにもかかわらず、其の話は一切出てこないのでかなり3)不安なので反対。(ここ、かなり重要だと思うんがだ気にしてないのか?)
4)海外で武力行使が可能になる事自体、防衛の範疇を超えた戦略行為であると判断出来るので反対。(事実上の制限枠が無くなる話だろ。)
5)集団的自衛権を発動できると公にすれば、日本国内でのテロ事件の増加や、海外で活動中の邦人の生命の危険が高まるので反対。
6)政府の言う、中国脅威論や、邦人救出、資源確保などの理由がどれも中途半端で其の全てが現状の法制で間に合う内容であるから反対。
7)弾薬(核弾頭を含む)は武器ではないが、銃器は(弾薬が装填されなくとも)武器であるとの異常な判断基準が納得出来ないので反対。
8)武力に依る抑止は、ナイフをちらつかせて威嚇しているのと同じで、そんなものは平和でも平時でも無いので反対。
9)その他、解釈改憲とかご都合主義だったり、何かと不明瞭な答弁を繰り返す現自民党政権が信用でき無いので反対。(兵役は苦役じゃないと言い切ってたんで、状況が変われば徴兵は有り得る。)
とまぁ、他にもまだ細かい理由はあるが、概ねこんな感じで反対してるんだが、これらを表明すると所謂賛成派や容認派の連中から「お花畑」と揶揄されるのだ。
つまり、「武器も持たずに平和が〜とか言っても攻められたら終わりだろ?なに日和ったこと言ってんだよこのお花畑が!」ってな調子なわけです。
 
オレに言わせりゃ、政府の中国脅威論やら、駆けつけ警護とかにノセられて、安保法案による弊害に対して全く想像力が働かない賛成派の連中のほうがよっぽど「お花畑」だと思ったんですが、まぁそれは置いといて…。w
 
安保反対や、戦争反対がお花畑なら、お花畑でいいですよ。
で、オレだけお花畑じゃ切ないんで、皆にもお花畑に成ってもらいましょう。
日本だけお花畑に成っても、隣の国が攻めてきたら終わりだよってのも判ってるので、隣の国もお花畑に成ってもらうしか無い。
勿論、其の隣の国も、其のまた隣の国も世界中が全部お花畑に成ればいい。
そうすりゃ、みんな戦争反対で殺し合いしたくないですって成れば、戦争は起きない。
  
軍備ってのは、ストリートギャングが持つナイフみたいなもんです。
過去、日本の自衛隊と言うナイフは、りんごを剥くときしか使わないナイフでした。
其の切れ味は、世界に自慢できるほど鋭いのですが、日本の国はりんご剥きにしか使いませんと言ってたんです。
だから、どんなに切れ味が鋭くても、他の国は気にもしてなかった。
しかし、今度の安保法案は、その切れ味バツグンのナイフの刃で人を刺しますよと言う法案です。
「強力な軍備は抑止力になって争いが起こらなくなるから平和である。」って理論。
馬鹿じゃねーの?って思う。
ナイフを人に向けて、其の人が恐怖で固まってる内は良いけど、その人が「刺される前に刺す!」って決心したらどうするつもりなんですかね?
「刺される前に刺す。」
つまり、現地邦人の拘留や殺害、日本へのテロ行為、具体的な宣戦布告など、今まで起きなかった問題が一気に起きることは自明です。
 
刃物は人に向けちゃいけませんってのは、子供でも知ってる。
それを国がやろうとしてるわけです。
 
我々の持ってるナイフは、りんごを剥くためであって、人を刺すためではない。
それを「今度は人刺しますよ。」って世界に言ってしまう愚かな政府には非常に不信感が募ります。

【世界お花畑運動】始めました!w

PKO法案から20年。
安保法案でさらに自衛隊の運用範囲が拡大されようとして揺れる昨今。
「戦争反対」とか、「海外派兵反対」とか、「戦争法案反対」とか、そう言う「真の平和」を望む発言をすると、「お花畑」と揶揄されるようになりました。w
まぁ、お花畑上等ですよ。w
殺し合うより、マシ。
結果殺されても、殺すよりマシ。
と言いながらも命は惜しいわけで、世の中何事も相対的に判断する必要があり、自分一人だけお花畑では真の平和は得られない。
ならば、「世界中が皆”お花畑”に成ればいいじゃん!」と言う、究極の「お花畑思想」をここに提示します。www
ハイ。
【世界お花畑運動】始めました!w賛同者は、FacebookやTwitter等のSNSのアイコンに、お花畑のテンプレを載せて下さい。
意思表示・活動はそれだけです。
お花畑が広がれば世界は平和です。
確実に!さぁ、徹底的なお花畑理論です。www
争いを前提に考えてる人には、夢物語に聞こえるでしょう。
しかし、夢を実現してきたのが人類です。
「真の平和」の夢をなぜ実現できないと言い切れるのでしょうか?世界中の皆がお花畑に成れば、簡単に解決する問題です。
どんどんお花畑に成って下さい。
世界中の人に薦めて下さい。
Now,Japanisshakinginthesecuritybill.Japanesepeopledonotwantwar.HoweverGovernmentsays,Peaceisgetbyforce.Idonotthinkso.Ithink,arealpeaceisthatHoldingHandsanddiscardtheweapon.Now,suchathoughtinJapan,willberidiculedasthe”flowergarden”.Theysays,ourinsistenceisnorealityas”flowergarden”ofthestory.Idonotthinkthatway.Ithink,peoplearoundtheworldshouldbecomea”flowergarden”.Theworldispeaceifso.Ladiesandgentlemen,pleasejoinmefor”flowergardenmovement”.アイコン加工プログラム作りました。w
emadeiconprocessingprogram.http://kiya-hen.net/ohana/index.cgi使い方は、上記URLへアクセス。
スマホに予め保存してある、元画像を選択し、英語か日本語を選んで、SUBMITボタンを押して下さい。
画面に加工されたアイコンが表示されて終了します。
表示された加工済みアイコンをスマホに保存して、ご自分のアイコンに設定して下さい。
ちなみに、元のアイコンファイルのファイル名に日本語がまじるとうまくいかないことが有ります。
ファイル名は、半角英数でおねがいしますね。

「支持政党なし」www

噂の「支持政党なし」党(以下「支持なし」と略)のHPを見てみた。w
世相を正しく反映しているなぁ〜と。w
良し悪しはともかく、そういう意味では正にタイムリーな政党名であるし、アイディアとしても洒落てる。w
 
これを正面から批判している方は、政治に関心もあり、特定の政党への支持もある方でしょうから、恐らくはこの「支持なし」にとって関係ない方々でしょう。
 
まぁ、ここからはオレの憶測ですので、「支持なし」が実際どうなのかは考慮してません。
すべて「支持なし」のHPから得た情報だけで判断しています。
 
まず、「支持なし」が狙ってる層は、まぁ政治に関心はあるが、支持政党が無いって人でしょうね。
出来れば、「政治に関心がない&支持政党も当然無い」って連中までフォローできると完璧だったのになぁ〜と思うわけですが、これが目立てば興味をもつ人も増えるんじゃないかと…。
そういう意味では、ナイスな政党名だし、アイディアとしても秀悦と思える。w
悪ふざけが過ぎてることは否めませんけど。w
 
実際、平成24年の衆議院議員総選挙では、20代の若者の投票率は、37.89%。
30代でも、投票率50.10%
20代は40%を切ってるし、30代との平均でも実に、50%切ってるんですね。
なぜ投票に行かないのかと、周りの若者に聞いてみた。
一番多いのが、「面倒」
「面倒」な理由は様々で、
「なぜネットで投票できるようにしないのか?投票のために出て歩くのが億劫だ。」とか、
「どこに入れても何も変わらないから、投票したい人が勝手にすればいい。」というモノがダントツで多かった。
そういう連中を掘り起こすにはちょっと面白いアイディアだと思う。

これを切っ掛けに政治に興味を持ち、正しい認識を持つ人が増えるなら正に必要悪と言えるなぁ〜と。

 
まぁ、面白いので頑張ってもらいたいと思うんですが、これが本気で議席をとってしまったら、それはそれで問題なんですよね。w
 
一つは、「政策なし」のパラドックス。
これは、「政策がないと言う政策」とも取れる。
代表の佐野秀光氏は自身のブログで、「積極的な意思表示でズバリ与野党の各党に支持政党がないという事を突きつけられるのは支持政党なしだけ」と豪語してる。
確かに「支持しない」を形にするにはわかりやすいが、形になった「数字」の実態は一体何なのか?
形になることで、議席を獲得する「支持なし」は何なのかって問題が欠けてる。
これが形成されることで、「政策がない」は嘘になるわけだ。
彼が言うところの、「「支持政党なし」に投票していただいた方々の意思を素直に国政に反映する事だけ」と言うのが政策になるわけだ。
別に、TPP反対とか、原発反対とかだけが、政策じゃないからね。
だとすれば、「支持政党がない=政策なんか要らない」ではないことになる。
これでは、支持なしの連中を正しくフォローしたとは言えないわけだ。
もう一つは、「直接民主主義モドキ」の方法論。
パラドックスはまぁ解決したとしても、提唱する方法論は微妙だよな。
解釈によっては現在の議会制民主主義の批判にも聞こえる。
また、議会制民主主義の中で自党だけ直接民主主義的な方法論を取るとも読める。
どっちにしろ、微妙。
彼の趣旨は「有権者の意思をダイレクトに国会に持ち込む事」とあるが、結局多数決で得た結果を持ち込むだけなので、これはなにか意味があるのか?と思う。
つまり、正反を過不足無く国会に持ち込める訳じゃないことは自明なのだ。
自己矛盾を起こしているとしかオレには感じ取れない。
 
最後に、「こんな党に票を入れさせてしまっている他の政党は一体何をしてるのか?」って問題。
「支持なし」批判をされてる方の殆どは、この問題には触れてない。
概ね「(名前が)ふざけてる」「詐欺だ」としか言ってない。
オレに言わせると、批判のための批判しかできてないし、問題の根本が見えてないとしか思えない。
本当に批判すべき問題は「この党に投票する人がいる」ことであり、「この党が存在すること」ではないんですね。
過去の経緯からこのような政党を産ませてしまったことを、与党も主だった野党も猛省すべきだし、其のための努力を更に続けるべきだろうと。
既存政党の連帯責任と言っても過言じゃない。
自民でも、民主でも、公明でもいいよ。
ちゃんとやってりゃ、こんなアホな名前の政党が出来なくて済んだんだってことを真摯に受け止めるべきだな。
まぁ、結果どの位の票を集めるのか興味はある。
あと、これを切っ掛けに選挙権を行使する人が増えてくれると少しは国も良い方向へ進むのではと言う淡い期待もある。
そういう意味で、頑張って欲しいかもね。

終戦記念日を終えて、現代日本を考えてみる。

まぁ、オレは政治の専門家でも、経済の専門家でもない。
なので、専門的な話をするきもないし、そういう論争に参加する気もない。

こういう話を考える発端になったのは、庶民レベルの頭で、庶民レベルの常識で、庶民レベルで判断できる事を、なぜ国がやらないのか?って所に疑問を持ったところから始まっている。

今、政府は国民に対する背信行為を行なっています。
民主党はマニフェストを提示し政権を得たにもかかわらず、その内容は実行せず数年で分裂。
責任の所在は有耶無耶にされています。
理由の如何を問わずに、約束を守らないのは信用されないし、実社会では通用してない。
なので、十分背信行為であると言い切れるでしょう。

国民は、そんな政府の言うことに不信感を抱きつつも、政府の言いなりになっています。
というか、合法的な選択肢はそれしか与えられていない。
情報は操作され、メディアから流れてくる情報は、政府および支配階級にとって有益に作用する情報しか流れてこない。
国民にとって本当に有益で知るべき情報は、常に政府に規制され隠蔽され、知る由もない状態である。

この状況、何か似てませんかね?

大東亜戦争(太平洋戦争)時の日本の姿に…。

今は別に戦争はしてませんがとても良く似ている。
※一説には太平洋戦争は続行中であると言う見方もありますが…

ミッドウェー海戦敗北以後、大日本帝国は敗戦への道を歩き出すわけですが、大本営発表はそんな負け戦の話は報道しないんですね。
むしろ「新鋭潜水艦艦載機によるアメリカ本土爆撃!」みたいな、オレゴン州の森林をちょっと燃やしただけの戦果を大げさに発表してしまう。
だから、国民は支那事変以降、大日本帝国は勝ち続けてると信じてた。
この報道規制のお陰で、戦時中に3度に渡る地震津波災害で4000人以上の国内の一般市民が亡くなっていることも当時の国民のほとんどは知らされてないわけです。

つまり、戦時下において士気が下がるような報道は制限されていたわけです。
当時大本営発表以外の情報ツールを持たない国民は、それを信用するしかなかったんですね。
ここでも、他の合法的な選択肢は与えられていない。

しかし、さすがに昭和18年、アッツ島玉砕から「玉砕」って言葉の使用が始まり、翌年には南方の島では玉砕が相次ぎ、硫黄島が陥落し、本土空襲が始まればロクな知識など無くとも「もう負ける」って事は肌で感じるわけです。
それでも大本営は絶対に「もう負けます」とは言わない。
「一億総玉砕まで頑張りましょう!」と言うのです。

コレは「敗北宣言」なんですが、当時の洗脳された国民には、これが「敗北宣言」には聞こえないんですね。
つまり「敗北(負ける)」と言う概念は「玉砕」という「消滅しても負けではない」というおかしな概念に置き換えられている。
アッツ島の報道で「国民が全滅しても、負けを認めなければ(戦い続ければ)負けではない!」という、おかしな概念が埋め込まれたんです。

政府は報道規制をして、政府に都合の良い、つまり一部の支配階級に都合の良い情報しか流さない。
その情報が全てだと信じている国民は、実際の状況に不安を感じながらも「負ける」意識がない。
「負けました」と言わなきゃ(負けを認めなければ)負けじゃないみたいな、戦争と言う実際に国民の生命がかかってる話なのに、子供の喧嘩みたいな理論になってしまっていた。
神風特攻や桜花を作ったり、B29を竹槍で落とそうと言い出す時点で狂ってるんですが、それを狂ってるとは思わなくなってしまっている。

なので、戦争を続けることに対する疑問や不満を内に秘めたまま、したくもない戦争へ邁進することになる。
戦争に負けないために。
既に「勝つため」に戦争してないんですね。
「負けないため」に戦い続けるしか無いと言う、無限地獄を選んでしまったわけです。

またそれを選択しなければ、政府よりもなによりも、隣人より「非国民」と避難されてしまう。
戦争反対は国民として宜しくないと言う刷り込みによる隣人非難を、世論に定着させてしまってるわけです。
これは、実生活において一番厳しい境遇になるのでした。

そして今…。

国民は、不況や社会的な荒廃を感じつつも、明確な打開策が与えられず、ただ政府の言いなりで、原発稼働にも、TPP問題にも、増税法案にも、事実上口出しできない。

政府が発表する(つまり戦時中の大本営発表と同等ですな)政策や情報を鵜呑みにするしか選択肢は与えられず、長期間続けていると、どんどん麻痺してくる。
原発が動き出しても、気にする人も少なくなってくる。
増税されても、政府発表の試算を見て「まぁ仕方がない」と思う人が殆どで、恐らく消費税が上がっても、そのまま文句も言わずに買い物するんでしょう。
その政府発表の試算がどういうものかを分析・理解する人は、専門家以外には出てこないでしょうしね。
なので、事実上「嘘」(意図的に知らせないのは、嘘より質が悪い)の情報で騙されて、気がついたら「敗北」してる可能性が大きいわけです。
政府の玉音放送聞く頃には、我々庶民は全てを失ってますよ。

原発がメルトダウンして、放射能が漏れて今までの基準値じゃ都合が悪くなるわけです。
「じゃ安全基準値変えましょう。」とか、もう狂ってるとしか思えないんですが、それを狂ってると思わなくなってる。
状況に合わせて安全基準を変えてしまう政府は狂っています。
安全ってのは、状況によって変化するものじゃない。
絶対的な部分で守られるからこそ安全なんですね。
恐らく今後も安全基準がどんどん緩和されて、放射性物質を含んだ物資食料がどんどん全国を流通し全国民が死に至る事になるまで何も変わらないでしょう。

でもそれを「狂っています!」と声を上げる場所がない。
政府は何時だってそれを用意していない。
上げたところで、政府はもちろんメディアにすら無視され、その声は雑踏に消えるわけです。
実際にその安全基準に関する話は、以前は検索などしなくともネットに散見できたのに、今は殆ど見られなくなってる。
雑踏に消えかかってるんですね。

なので、デモ行進とか、署名運動とかになるわけですが、正直無駄。
しかし、それでも一部の人達は何もしないよりマシだと言う。

例えば原発反対の署名を集めて、政府や関係機関(つまり電力会社とかね)に提出して、原発を止めてくれと頼んだところで、彼らにとって署名など個人の名前が書かれた紙クズでしかない。
そこに明確な利害が反映されてないと誰も動かない。
ましてそんなものじゃ世の中は変えらない。

止めるには相応の理由が必要で、「危ないから」みたいな理由じゃ聞く耳など持たれるわけがない。
立場を変えて考えてみればわかると思う。
だれかが、「交通事故がこれだけ多くて、死者も沢山出てるのに、誰も車を排除しようとはしない。」と言ってましたが、まさにそのとおりなんですね。

原発も、安全に運用できれば問題ないのです。
車も安全運転すれば問題ないのです。

で、安全運転する人(出来る人)が少なくて事故が多発しても「車を止めろ!」と言わないのは、交通事故によるデメリットよりも、車社会の恩恵の方が大きいからなんですね。
つまり、隣人が事故死しても、ウチの車は無くならないんですよ。

電力会社は、地域住民が放射能で死んでも、原発稼働で得られる恩恵の方が大きければ、そんなもの無視するに決まってるんです。

例えばオレが、道庁の前で「政府は狂っています!」と声を枯らしたところで、誰に届くだろう?
それが1万人集まったって同じ事。
警察に(つまりコレは政府に)規制されながらデモ行進したところで、何になる?
誰の何を動かす?
誰か政府要人とか、官僚の心でも動かして、世の中が変わると思ってるのだろうか?
過去、デモ行進で世の中が変わったことが一度でもあるだろうか?

考えてみて欲しい。
それは、「竹槍でB29を落とす」ことに等しくないだろうか?
上空を飛ぶB29は竹槍じゃ絶対に落ちないんだが、国民はそれを知りつつも、竹槍を突き上げ鬼畜米英と叫ぶ「訓練」と言う茶番を演じていたわけだ。

今我々は、それじゃ何も変えられない事を知りつつ、デモ行進だの署名集めだのという茶番を演じてるのではないか?

そもそも政府は、政府がひっくり返るような事態になる可能性を含んだ事象は全て法律で制限してある。
破壊活動防止法(破防法)等でデモの規制なんかもされている。
つまり不穏な動きを察知したら、実行動に出る前に阻止できる枠組みがもう60年も前に出来上がってるんですな。

なのに今行なっているデモや署名が政府より許されているのはなぜか?
デモによって政府がひっくり返ることなど無いからに他ならない。
つまり、デモや署名で何かを変えようとしても無駄なんです。

体制をひっくり返すには、常に違法な行動に出なきゃならないわけです。

オウム真理教は自分たちの特異性故に世間から離反してゆき、それを逆恨みした形で、体制を変えようとした。
1995年サリン事件で大量殺人(テロ)を行った時に、この「破防法」では法解釈の問題で処分できず、やむなく「団体規制法」って別な法律が制定された。
つまり新しい法律作ってでも、謀反は起こさせない仕組みになってるわけです。
ま、オウム真理教は謀反というより、狂ってると思ってるんで、既に論外なのだが…。

オレは、今日の合法は明日の違法であることから、非合法行為が必ずしも「悪」であるとは思っていない。
例えば、インターネットダウンロード。
著作物のコピー又は著作物そのものをインターネットサーバーにアップロードしてそれをダウンロードする行為なのだが、この著作権ってのは、権利者が主張して初めて有効な権利なんだよね。
本来第三者が介入するような問題じゃない。

つまり、著作者が認めれば、それは違法でもなんでもないのだ。

それを第三者であるはずの国が管理しようとするのが、この法律なんだが、今まで違法じゃなかったことが、この10月より明確に違法行為になり刑事罰が課せられることになった。

これはなにか歪んでいるわけだが、その歪みを明確にできないし、ましてこの前哨戦であった2010年の著作権法の改正施行を詳しく知っている人は殆ど居ないだろう。
実は2010年の1月から既にダウンロードは違法になってたんだが、刑事罰がなかった。
今回は、そこの刑事罰を設けることになったわけで、その根拠は今もって明確じゃない。

2010年の法改正から、今回刑事罰化に至るまでどれほどの国民が関心を寄せ、意見をしてきたか。
ネット上では多くの反対意見を散見できたし、実際にデモ(50人規模の小さなものだったが)までしたが、結局その声は届かず、いつの間にか法制化されてしまっている。

こういうことを書くと、「いや、ちゃんとアナウンスがあったではないか!」と言う輩がどこかから湧いてくるが、「アナウンス」ってのは、ちゃんと誰もが知ることができる環境に置いて公示するから有効なわけで、どこかを探さなきゃならないようなのは、「アナウンス」とは言わないんだよね。
まして、一方的にアナウンスされたところで、意見があっても聞き入れられない状態。
つまり、政府のどこか民衆の目の届かないところで勝手に進められていて、国民の審議すら行うこと無く決められてゆくわけです。

結局、ポツダム宣言受諾より67年、我々は何も進化していないし、何も学んでいない。

非合法行為を率先するつもりはないが、それ以外に世の中は変えられないと思う…。
合法で居る限り、世の中は変わらないようにできてるんだから。
本気で何かを変えたいならば、合法とかそういう観点じゃなくて、確実に変えれる方法を選ぶべきなんだ。

それを選ばないって事は茶番でしかない事を自ら認めてるのと同じだと思う。

まぁ、思いつくままダラダラ書いたんで、支離滅裂感は拭えないが、言いたいことはコレで伝わると思う。

景気悪いね。

最近、ふと思ったことがある。
この景気の悪さはなんなんだろうと。

あ、因みにオレは経済の専門家でも何でもないですから、トンチンカンな事言ってるかもしれません。
その場合は、「あぁ、無知なオヤジの戯言だ。」と思って、生暖かく見守ってやって下さい。(笑)

でまぁ、切っ掛けはバブル崩壊でしょうね。
バブルが崩壊した時期と前後して、消費税が導入されて消費が一瞬落ち込むんだよね。
それで、崩壊に拍車がかかってしまってね。
国の政策が追いつかない、と言うよりは的確ではなかったの手伝って、更に悪化。
これは、97年の消費税増税が大きく貢献してしまい、更に消費が冷えて悪化の一途をたどる結果に成ってる。

バブル崩壊が始まった頃は、ちょうど今みたいな政権が不安定な時代だったんで、物事がスムーズに決まらない。
決まらないまま、時間だけが過ぎて言ったわけだ。
これって、病気を治療しないで放置してるのと同じで、悪化するのは当たり前だったんだよね。
この辺は、経済や政治の専門家なら常識として知ってた話なんだが、対応が全く素人だった。

そこへ95年阪神淡路大震災ですわ。
経済も何も一気にズタボロ。
政府は、復興資金確保のために、97年消費税増税。
これが、馬鹿だった。

一気に消費が冷え込み、さらなる悪化を招いた。
この流れって、今の状況に似てないかな?

東北地方太平洋沖地震で、不景気に拍車がかかってる昨今。
政府は相変わらずの政権不安定で、事実上無能。
そこへ、復興財源確保の増税案。

学んでない。
残念すぎる。

オレでもわかる程、学んでない。

まぁ、政府的にどうするのかは政治家に任せ、実際の消費者であり、経済の最先端を担う一般人として、この経済低迷を回復するためには何をすべきか。
よく、経済を動かしてるのは、大物政治家だとか、財閥だとか、大企業だとか思ってる連中いるけど、実は違うんだよ。

経済ってのは、消費があって初めて成り立つ。
消費がない所には経済はない。

そして消費するのは、我々庶民なんだよな。
つまり、経済の鍵を握ってるのは、我々庶民だってこと。

ココにまず気づいて欲しい。

で、昨今の状況を考えてみる。

まず、出生率が下がってる。
人口そのものは、まだ増えてるんだが、それは赤ん坊からジジババまで全部数えての話だ。
生産年齢層、つまり実際に金を使える連中がどのくらいいるかが問題なんだ。

出生率が、70年台初頭からじわじわ下がり始め、1971年に2.16だったのが、2010年には1.39まで下がってる。
それでも、最低だった2005年の1.29よりは持ち直してるのだが、どっちにしろ子供が増えない。
でも人口は増えてる。
これは、単に年寄りが死ななくなったんだ。
平均寿命が伸びてる。

1970年当時、71歳だった平均寿命が、去年は82歳まで伸びてる。
つまり、この40年で10歳伸びたわけだ。
でも考えて見て欲しいのは、70歳が80歳に伸びたところで、彼らは消費するのか?ってことなんだよな。
衣食住は定量を消費するだろうが、恐らく娯楽は若い人ほど消費しない。
つまり、車を買ったり、レジャーに出たりすることは殆ど無いだろうってことだ。
コレはつまり、経済に貢献してない(出来ない)層なんだよな。

そこで総務省統計局の資料で将来の世代人口を調べてみる。
この切り分けがどういう意図なのかしれないが、取り敢えず毎年の15歳〜64歳まで(生産年齢)の層を注目してみる。
これは事実上の経済活動を行うであろう世代って設定なんだろうけど、現代日本では15歳はまだ就学中で、経済活動は普通できない。
しかしまぁ資料がコレしかないのでざっくりな話で見てゆくことにする。

平成22年で、生産年齢層は、81,032千人となってる。
で、平成27年の予測では、76,807千人との予想。
さらに、平成37年には、70,960千人まで減る予定。

つまり、今は概ね8千万人居るわけです。
それが、3年後には7千6百万人に減るわけです。
4百万人減るってどういうことは想像できますかね?

オレはピンと来なかったんですが、1人の人の年収が300万程度とした場合に、×400万円の消費が無くなる事を意味してるんですね。
ざっくり計算すると約1兆円。

年間の消費が1兆円減るんですよ。
コレ、遠い将来じゃなくて3年後の話です。

コレ凄いことです。

で、今消費が減ると、まわりまわっていろんな所のお金がなくなって困る。
特に、国は税金が減るわけです。
人口減るんですから当たり前ですが。
でも、人口減っても税金は減らしたくない。
なので、増税となるわけです。

しかし、経済低迷で今は昭和60年代初頭の平均収入に落ち込んでいます。
そこへ増税食らうと、もう生活出来ない人が溢れ出す。
当然子供なんか作れない。
すると、将来の生産人口がまた減るわけですよ。
この悪循環は当面無くならないだろう。

で、やっと本題。

こういう状況下で、今の企業体質ってどうなってるんだろうか?

85年当時の様に「前年比120%必達!」とか未だにやってるバカ企業はないと思うが、もしそんなバカ企業にお勤めなら今直ぐ辞めた方がいい。(笑)

当時は、人口は増え続けるもしくは、減っててもまだ消費は冷えないって前提で活動してた。
実際、戦後の1945年から、2000年までは生産年齢人口は増え続けてたので、85年当時「来年はまた消費が拡大する」って考え方は間違いじゃなかった。

で、2000年を堺にその後の生産年齢人口は減る訳です。
この事実を会社の事業システムに取り入れられない企業がごっそり居るんですね。

なので、いつまでもバブル時代の方法論の焼き直しで商売しようとしてる。
それじゃ消費は伸びないのは当たり前だと、別に経済学者じゃなくても分かる話。
つまりは、「来年は減る。」って事を念頭に置いて、年間事業計画は立てなきゃならない。
前年比120%はありえない。
でも成長と言う意味合いでは、減らすわけにはゆかない。
じゃ、どーすんの?ってことなんだが、コレが今だに「量販」に夢持ってるバカ企業が多い。
特に「薄利多売」とかね。

オレに言わせれば全くもってバカ。

「薄利多売」は「量販」できる前提で成り立つ仕組み出会って、「量販」が難しい現代では通用しない仕組みなんですね。
わかりやすく言うと、「値下げすりゃ売れるだろ?」って話。
確かに、値下げすりゃある程度売れます。
即効性は確かにあります。
しかし持続性がない。

「薄利」な訳ですから、その状態が長く続くと、多売出来ないので、直ぐに体力消耗して倒産に追い込まれる。

「小規模で回せば、多売する必要がないから、経済が回復するまで頑張れる。」って言う、中小企業の社長さんが居ました。
「無理でしょう?」ってオレは思ったんですけどね。
みんなが安売りしてて、収入が増えなければ経済は絶対に回復しないわけです。
なので、この理屈は将来が見えてない典型なんですね。

キーワードは「専門化」にあると思うんですよ。

バブル崩壊以来、成長企業は何らかのジャンルに特化され専門家集団です。
特に、インターネット業界なんかはその好例ですね。

はじめから専門業種を担ってる企業なら、更に「特化」する方向で、利幅を上げてゆくしか無い。
「ウチにしか出来ない技術」なり、「ウチでしか売れない商品」ですね。
それらが、民衆にとって必要なものである事が重要です。
多売を伴わなくても、十分に利益を挙げれる需要を確保しなきゃならない。

恐らく必要のない業種って無いと思うので、どんな業種でも何らかの需要はあるわけですよ。
その需要をいかに確保するか。
安売り以外の方法を真剣に考えなきゃダメなんですね。

後10年もすると今の学生たちが消費活動に入ります。
その時に、彼らの興味を引ける事業をやれて無ければ、将来は無いでしょう。

もう一つは、無駄の排除。
政府でも仕分けとか何とかムダ排除をやってたようですが、アレは茶番でした。
理論通りに仕分けが働いてなかった。

無駄を排除ってのは、予算を削ることじゃないんですよね。
「予算を減らす」ってのは目標値であって、方法論じゃない。
つまり、無駄を無くしたいと言う到達点があって、その具体的な目標値が予算削減な訳でね、そのための方法論が仕分けだったはず。
しかし、予算削減が方法論に取って代わった瞬間、バランスを欠いたわけです。

で、何が無駄なのか。
スーパーコンピューターの研究費が無駄じゃないんですね。
大人数体制に成長してきた企業のベーシックなシステムを、少人数体制に作り変えることが、ムダ排除につながると思うんですよ。
経済人口が減ってるってことは、就労者も減ってるわけです。
なのに、大人数で働いてた当時のままのシステムで居たらそりゃムダだらけになるのは当然の話なんですね。

で、企業の殆どは人員削減で無駄を排除できると思ってる。
つまりバカなことに人件費が無駄だと思ってるんですね。
無駄減らさないで人減らしてどーすんの?ってことなんですが、

人減らす=失業者増える=消費が低迷=会社が儲からない=給料でない=消費が低迷=会社が儲からない=給料でない=(以下永遠に続く)

これが、もうシャレじゃなく現実のものに成ってるってわからんのかと。
20年も見てて気が付かないのかと。

で、システムを変える。
例えば、社用車を購入するとする。

人数が居るので、車の台数もそこそこ必要だとする。
量をまとめれば安く購入できる。(このへんがバブル脳)
車沢山買ってみんなで便利に営業。

だったと思う。
しかし今は人が居ない。だから…

人が少ないので、社用車は1台でいいや。
けして安くはないので、1台をどう使いまわすか考えよう。
日替わりにして使う人を決めて、スケジュール組んで営業しよう。

位はやらなきゃダメなんですわ。

少人数体制ってのはそういうことじゃないですかね。
で、大手の自動車メーカーの売上が下がる…と思われますが、メーカーが従来通りの売り方してたらそりゃ下がりますよね。
なのでメーカーは、大量に売ってた当時の値引きをまず止めます。
で、必要とされる車作りをしなきゃならない。
特化してゆくわけですね。

わかりやすいところで、「トラック」を専門で作ってるメーカーがありますよね。
「商用バン」って車種もあります。
最近だと「タクシー専用車」ってのもあります。
これって用途がどんどん特化されてるんですよね。

なので、今度は「営業専用車」を作ってみるとかね。

ハイブリッドで低燃費。
GPSナビは標準装備。
ダッシュボードに営業用コンピューターの取り付けが可能。

とかね。

同時に、メーカーの生産システムも少人数体制に切り替えて売上が下がっても、利益を下げない方法を考えなきゃならない。
つまり、「大量生産」の必要がもう無い所まで来ているんですね。
生産ラインを整理して、少数生産に切り替える代わりに、製品に付加価値を与える。

なので、当然単価は上がるが、相応の使い良さを追求すればいい。
その上で、自然淘汰される会社も出てるくるがそれは何時の時代だってある話なので今は考えません。
人口が増えればまたかつてのような経済成長も見られるだろうから、それまではある程度は仕方がないと思わなきゃならないんじゃないかな?

オレはギタリストなんで、楽器屋さんへよく行くのだが、ソコには安いエレキギターが大量に並んでいる。
見ると、ほぼ100%国内ブランドの海外製品。
生産国が、中国韓国はもとより、インドネシア、マレーシア等。海外で生産されてる安い商品が並んでるんですね。

作りから想像するに、恐らく日本の大量生産の技術を輸出して安い人件費の国で大量生産して、それを国内に逆輸入して売っているんだと思われます。

コレを売ってるうちは多分、楽器業界はこのまま衰退してしまうだろうね。
薄利多売の典型をいまだにやってる。

付加価値の少ない安い商品を大量に売りさばこうとしてる。
エレキシェア創世記の60〜70年代の方法論のままだ。

人が減ってるのに、あの当時よりも多い楽器を売ろうとしてるところが既におかしい。
1人で2本も3本もあの安いギターを買うわけがない。

あの安いギターを全部やめて、エレキギターは高いものと言う認識を植え付ければ、値引きの必要もなくなるし、安物エレキ10本分の利益を1本売れば得られるようになるはず。

店頭に放置してある安いエレキがどの位売れるのか知ら無いが、商品知識もろくに無いバカ店員を広い売り場に複数置くよりも、ある程度の狭い売り場に知識のある店員を一人置いて、1万円のギターをダラダラ売るんじゃなく、10万円のギターを時間かけて接客して売るほうが健全だと考えるのは違うのだろうか?

それが、少人数対策の商売だと思うし、市場の健全な育成に繋がるんじゃ無いか?と思う。