【世界に一つだけの花世代】

世界に比べて日本の音楽シーンはレベルが低いとかいう人たちへ。

本当は別な記事を書こうと思って、参考のためにこの記事を読んでたんだが、読んでるうちにちょっと、元々書こうと思っていた事を書く気が失せてしまった。
ちなみに、元々書こうと思ってたのは、ジャパメタをテーマに、作った世代とそれで育った世代の対比を書こうと思った。
でも、あんまり書く気がなくなった。w

この記事の筆者は一流の作曲家なわけだが、1980年生まれなんだよな。
そりゃ1964年生まれのオレとは「世代的に感性も違うわなぁ〜」と思いながら読んでいくと、オレは音楽的には「模倣世代」である事に改めて気付かされた。
まぁつまり、洋楽ロックに刺激されて、その模倣をする事を良しとしている世代だ。
だから、ジャンルや形式に拘っていて、その範疇でオリジナリティーを求めるあまり、彼の言う「何かのなりそこない」に成っているわけだ。

対してこの記事の筆者は、模倣世代では無くて、「世界に一つだけの花」世代とでも言うかね…。
彼らが成人した頃、SMAPの「世界に一つだけの花」が大ヒットした。
これは日本人の感性の切り替わり時期だったんだと思う。
彼の言うように、日本人の感性として「歌詞」はもの凄く大切だ。
歌詞の表現や意味も含めて、「曲の良さ」として判断されるからだ。
これは、日本で日本独自の音楽の「雅楽」や西洋音楽の「クラシック」等の「歌のない音楽」があまり流行らない理由でも有る。

「No.1にならなくてもいい。もともと特別なOnly One」と言う歌詞で始まるこの曲。

確かに2002年当時、15〜6歳位から25〜6歳位の悩める青春時代を送っていた人たちには、この歌詞はインパクト有ったと思う。
彼は丁度その中心世代だ。

オレは30代半ばで、世の中はまだバブル景気の余韻を引きずっていながらも、既に不景気の波は押し寄せていた。
「何かのなりそこない」は20年掛けて淘汰され、そこには「なりきった」物だけが残っていた。
それまで普遍と思われてた多くの社会常識がバンバン壊れて、新しい常識や価値観が日替わり定食のように入れ変わっていて、それを受け入れなきゃ先に進めない時代でも有った。

悩める青春時代の彼らは、そんな目まぐるしい世の中で、自分の存在価値を見つけることが困難になっていた。
社会は以前にも増して厳しい状態なのに生き残ることを余儀なくされ、しかし生き残ったところでロクな見返りもない状態が続く世の中で、生き残ることを止めた若者も増えてきた。
そんな頃にこの歌が流行った。
戦って1番に成らなくとも、元々が個性的な存在なのだから、戦わずに自分を大切に!と慰めたわけだ。

これは色んな人を勇気づけたが、同時に多くの人を「比較」「競争」「評価」等の「他人」から遠ざけたと思う。
彼もそんな「他人」から遠ざかった一人なのだろうと、この記事を読んでて思った。

そしてこの歌詞は、Only Oneに成るためのプロセスをまるっと省いてしまっている。
実際には、ナンバー・ワンを経験しないとOnly One(孤高)には成れない。

このプロセスを隠すことで、努力しない人間を大量に生み出したと思う訳だ。
何もして無くてもOnly Oneだから大丈夫みたいな風潮が蔓延する結果となった。

彼の結論は、冒頭に書かれている。
「音楽の趣向なんて文化的な背景からくる個人それぞれの好みの問題なのに、どうしてそれが”世界品質が理解できない感性じゃやばい”ってなるのか。何がやばいのか。何に取り残されるのかw」
である。

この「個人の好み」ってのは実は最強の答えなんだよな。

「個人の好みです。」と言い切った瞬間にそれ以外のすべての価値観をバッサリ切り捨てれる、一種の魔法の言葉だ。
オレの世代は、洋楽を模倣してジャパメタと言う「何か(この場合は洋楽ロック)のなりそこない」に成った。
「ジャパメタ」って言葉が、いまいち恥かしいと思う気持ちはそこにある。
それは当時「世界品質を理解できない感性だった」からこそ「何かのなりそこない」に成ってしまった事が、今となっては演ってる本人も含めて、其の世代の皆が理解しているからだ。
でもそれは「世界品質を意識した向上心」があったからこそであって「世に出して戦わなきゃ!」って強い想いが有ったからだ。
「海外のスタンダードに合わせていく必要はないと思う。それこそ、”何かのなりそこない”で中途半端になってカッコ悪い。」と、正に当時のジャパメタの指摘をされてるようで辛い。w
しかし、個人の好みならば、実はカッコ悪いと言う感性もあまり意味のない物になってしまうのだ。

さらに彼は「世界で戦う必要を感じない」と、ハッキリ書いてある。
「もっと独自の何かが勝手に現れて、見出されていって欲しい。」とも書いてある。
これぞ、オレが思う「世界に一つだけの花」精神の具現化した奴だなと思った。

また「自分も微力ながら、そんなことを信じて、より良いものを作っていけたらと思います。」とも書いてある。
「音楽の趣向なんて文化的な背景からくる個人それぞれの好み」とバッサリ切り捨てる人の言う「良さ」ってのはなんだろう?
さっきも書いたが、個人の好みならば、それ以外の価値観は全く意味をなさない。
それでも彼は「良い」ものを望んでいる。
彼はこのパラドックスをどの様に処理しているのか興味深い。

まぁ今の世の中を刺激してる世代を知る上では、良いサンプルなのかも知れんなぁ…。

 

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