【Phntom of sorrow 10th Anniversary LIVE を終えて。】

Phntom of sorrow 10th Anniversary LIVE、満員御礼の大盛況で終わらせて頂きました。
ご来場の皆様、ありがとうございました。

また、記念ライブへの出演を快く承諾していただいた、REDさん、武尊の克さん、HYENAさんには、心から感謝いたします。

そして、会場のVinnnie’s BAR のオーナー窪田夫妻の全面的協力にも心から感謝いたします。
KAINにとっても良い思い出になったと思います。
近年、今日ほど皆さんの善意で生かされている事を実感する日は無かったように思います。

正直、オレの事を快く思ってない人も多いので、まさかこんなに沢山の人が集まってくれるとは思っても居ませんでした。
本当にありがとう御座います。

もう幾ら「ありがとう」を重ねても全く足りないくらい、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に心の底から感謝してる時って、言葉に成らないんですね。
初めて知りました。

[この10年を振り返ってみる。]

10年、長いっすね、10年。
でも、短いっすね、10年。
このバンドの歴史は、オレのプライベートな歴史でもあるんですよね。

2008年春。
2007年の暮れに、それまで演っていたMaverickを脱退してすこし気分転換をしてた頃ですね。
そんな時にベースのSHINJIから「暇にしてるなら、何か演りましょう。」と誘われて、特にビジョンらしいビジョンもなく初めたのが「Phantom of sorrow」でした。

ベースのSHINJIとはそれ以前から一緒に女性ボーカルのバンドを演っていたので「今度は何する?」みたいな話になった時、やっぱハードロックが良いよねって事で、ハードロック路線になった。
メンバーは、その女性ボーカルバンドでもドラムを担当してた、SAWA。
サイドギターに、そのSAWAが連れてきたRYUを半ば騙し討のように強制加入させて、体裁は整った。
肝心のボーカルは、オレが所属するボイトレのスクールの生徒だった女の子に頼んだ。

しかし、そのボーカルは3ヶ月もしない内に頓挫しちゃった。
ボーカル不在でバンド活動が鈍る中、動き出したばかりってのも有って、とにかく作曲しつつ、新しいボーカルを探そうって話になった。
今度はSHINJIが、mixiを通じて2代目ボーカルを探し出した。
バンド経験無しという事で、とりあえずスタジオで歌わせてみよう!って事でスタジオに呼んで歌わせてみた。

圧倒的な声量とハイトーンを出すダイヤの原石だった。
音程とかリズム感とかまだまだ甘い所は沢山あったが、磨き甲斐のある逸材だった。
この女の子が、後の2代目ボーカル「SHIORI」だった。

まだ、ハードロック路線ってだけで、具体的なバンドの方向性も定まらぬままリハーサルを繰り返して、なんとか初ライブに漕ぎ着けた。
しかしオレは納得できなかった。
バンド全体の演奏能力や、メンバーの士気とか、どこか不安が残っている状態だった。

仮にもMaverickのギタリストとして、本場ドイツのH.O.Aに出演している身としては、半端な仕上がりのバンドで人前に出るのが嫌だった。
なので、何とかカッコ付かないかって思っていたが、如何せんボーカルは素人。
他のメンバーだって、殆ど地元から出た事など無い、素人同然のメンバーばかり。
演奏もユラユラ、ステージングもダメダメ。
「コレじゃ人前に出せないなぁ〜」と、若干ナーバスに成りながら、もう少しリハーサルをするしか無いか…と思ってる所に、ギタリストのRYUが脱退表明。
音楽性が自分に合わないと言うことだった。

正直、オレに言わせるとまだ音楽性なんか有って無いような感じだった。
此れから集まったメンバーでそれらを作っていくって段階だったと思ってた。
しかし本人の意思を尊重して、脱退を認めざるを得なかった。
そこからの数ヶ月はバンドとしても迷走を初め、ヘルプを頼んでアコースティックでの生放送に出演してみたり、別なギタリストを加入させてライブを演ったりしたが、やはり求めているクオリティーからは程遠いし、向かっている先も見えなくなっていた。

[兼ねてからの想いを実験的に試してみた。]

オレは個人的に以前から興味を持ってたシンフォニックメタルと言うジャンルに挑戦してみたくなった。
元々は、映画音楽みたいなものをロックにした様なバンドを演りたかった。
その昔30代の頃、PRBというバンドを組んで「映画音楽をロックに」見たいなコンセプトで活動していたが、当時はまだアイディアにも技術にも乏しく、全く形になってなかった。
要は、オレの中では、映画音楽=シンフォニー だったので、オーケストレーションを最大限利用した、ハードロックバンドが理想だった。
そこに、シンフォニックメタルと出会ってしまった訳だ。
なので、この機会にぜひとも挑戦したいと思ったのだが、問題はキーボディスト。
札幌にはシンフォニックメタルに対応できるようなキーボディストは居ない。
なので打ち込みでシンセサウンドを再現することに決めた。
コレはオレの中では一大決心だった。

機械の音と一緒に演奏するなんて、当時既に40を過ぎてたオレの常識には無い話だったからだ。
古いロックしか知らないオレは、バンド演奏なんかハプニングを楽しむものだと思っていたから、毎回同じ構成で四角四面な演奏をすることがロックだとは思っていなかったからだ。
でも時代は変っていたし、古い常識に拘っている場合じゃなかった。
パソコンと周辺機材を購入して、見よう見まねで打ち込みデーターを完成させて、バンドに持ち込みリハーサルを繰り返した。
メンバーは怪訝そうな顔をしながらもよくついてきてくれた。

そんな時に、旭川でのライブの話が持ち上がった。
当初は、Phantom of sorrowが出演する話ではなくて、何処かのバンドを紹介してくれって話だった。
企画自体は、サーベルタイガーの復活イベントでもあるという。
オレは考えた。
どうせ頭数揃えの出演なら、別にウチらでも良いじゃないか?と。
仕上がりに不安は有ったが、何よりもライブに飢えてたし、動かなきゃ進まないと思ったからだ。
で、主宰に直ぐ掛け合って、Phantom of sorrow の出演を決めた。

新体制での初ライブが旭川であることに、メンバーは一瞬たじろいだが、どうせ駆け出しのアマチュアバンド。
何処でライブしようが大差ないとオレは思ってたので、それよりもサーベルタイガーのステージに立てる方が重要だった。
MTR担いでメンバーと共に旭川へ乗り込んだ。
幾つかのバンドに混じって、緊張しながらも本番開始。
予想以上の反響でオレ自身が驚いた。

[とにかくウケたよね。]

「曲がいい!」「ボーカルの存在感が凄い!」など、褒め言葉で埋め尽くされた。
「音源は無いの?」と何度も聞かれ、オレ自身まだレコーディングなんて先の話だと思ってたが、どうやら音源が今一番必要な状態だった。
札幌に戻って直ぐにレコーディングの手配をしたが、勿論正規のレコーディングなど出来る予算なんかない。
だから、宅録の自主制作だ。
ドラムだけ、Vinnie’s BAR で録音。
後は全編宅録。
トラックは出揃ったが、ミックスダウンに行き詰まった。
思案した挙句、昔から懇意にしていただいてるサーベルタイガーの木下さんにお願いした。
彼は、快く引き受けてくれて、宅録としては最高の出来の音源が出来上がった。

出来上がったマスターCDをプレスする予算なんか無いから、CD-Rで自宅で焼きまくった。
そして、1枚500円で2曲入り。
この値段設定は、ストリーミングやダウンロードの値段に合わせたものだった。
皆からは「安すぎる!」と言われたが、オレの感覚では、1曲250円以上は取れないと思っている。
iTunesでダウンロードする人なら分かると思うが、著名なミュージシャンの楽曲でも1曲250円が相場だ。
ローカルアマチュアバンドがそれと同じ値段で販売するだけでもオレの中では恐れ多い話だが、ここは採算を考えないとならないから、苦渋の決断で1曲250円を貫いた。
なので、2曲入りCDが500円なのだ。
CD-Rやジャケットの費用は、出来るだけ少なく済ませるために、自分でジャケデザインしてパソコンで印刷して自分で加工して袋詰して仕上げていた。

とりあえず20枚作って次のライブ会場に持っていった。
札幌810だったが、一瞬にして20枚全部売り切れて、注残が出たくらいだった。
自分でも信じられない程のウケの良さでかなり焦ったが、現実だった。
しかし、バンド内には不穏な空気が流れ始めていた。

良くある「レコーディング症候群」だ。
アマチュアバンドは、初レコーディングをするとバンド内不和が起きるというジンクスがある。
レコーディングによって、メンバーの力量が明確に成り、バンド内の力関係や、メンバーの意識レベルがそれまでと変ってしまうから、それまでバランスが取れてたバンドも、一気に崩壊の窮地に立たされる訳だ。
Phantom of sorrowも例外ではなかった。
ドラマーの不満がたまり始めていた。

[ドラマー脱退。]

程なくして、ドラマーが脱退宣言。
打ち込みを利用したライブなので、ドラマーはドンカマを聞くために、イヤホン必須だ。
そうなると、バンドのサウンドが遠のくので臨場感が無いという。
つまり、ライブ演奏中に孤独感を感じてたらしい。
他にも色々原因はあるんだろうが、とにかくドラマー脱退。
バンドの活動を止めるわけにも行かないので、直ぐにヘルプのドラマーを入れて活動再開。

しかし、ヘルプのメンバーでは思うような活動展開ができないので、ライブこそ演っていたが、バンドとしては停滞していた。
その停滞に耐えきれなくなったボーカルが、今度は脱退を宣言した。
ここで、SHIORIは独立したわけだ。
バンドは一気に低迷する。
女性ボーカルが売り物のPhantom of sorrowから女性ボーカルが居なく成るわけだから、そりゃ一気に動きが止まる。
ドラマーも別なヘルパーに交代。

一気にドラムとボーカルが変わることになった。
そこからの1年余りはバンドも迷走を続け、数人のボーカルが短期間で入れ替わり、ライブ活動自体は継続してても、それはただライブやってるだけで、バンド活動としてはやはり停滞していたわけです。

[この段階でPhantom of sorrowは既に5年を費やしていた。]

安定しないメンバーをなんとかしようと、色々手を回して、当時、バンドのお手伝いをしてくれていた女の子の友達と言うことで、いまのKAINが紹介された。
ドラマーは別な知人が紹介してくれたTSUYOSHIが来た。
ここに現体制のPhantom of sorrowが出来上がった。
しかしKAINは当時、殆どバンド経験も無く、素人同然だった。
また一から仕込まなきゃならない。
しかし、メンバーが固まったので一気に動きたかった。
KAINが素人だろうがなんだろうが、とにかく目立つ活動をしなきゃならなかった。

そんな時に東京でのライブの話とメタル専門誌への掲載の話が持ち上がった。
このチャンスを逃すわけには行かなかった。
幸いにもビジュアルが良かったKAINをメインにフォトセッションを行い、それを雑誌へ載せたのだ。
バンドの紹介なのに、バックの野郎どもは一切載せず、新人のKAINだけを雑誌に載せた。
他のバンドがメンバー全員の前身写真とかの、所謂アー写っぽい写真なのに、Phantom of sorrowだけは、KAINの胸上のアップだ。w
なんか芸能人のグラビア見たいな写真をそのメタル専門誌に載せたのだ。
音源は古いまま(SHIORIの声)だったが、雑誌のお陰でCDが一気に売れた。
東京や大阪の業者に出すために、そりゃもう必至でCD-Rを焼いた。
一回の注文が50枚とかなので、当時は本当に毎日CD焼いてて、ギターの練習とかも殆どできなかった。
でもやっと全国区になった訳で、これから活動の場が広がる瞬間だったから「この波に乗りたい!」と心から思った。

[この時にオレの中で活動の方針が決まった。]

「お友達」を集めるライブを何百回やっても仕方がない。
「お客さん」を集めるライブをやるべきだ。

という持論が出来上がった瞬間だった。
まぁ以前からボンヤリと思って居た事でも有ったから、それほどオレの中では革新的でもないし、言ってみれば当たり前の事だった。
それから地元の「馴れ合いライブ」の誘いは全部断った。
そのライブに出たつもりで、東京・名古屋・大阪でのライブのためにそのお金を貯めることにしたのだ。

対バンの誘いを断り続けたので、今では地元では殆どどこからもライブの誘いは無い。w
結果、Phantom of sorrow は、年に数回しかライブをしないバンドとなった。
地元でのライブは、これの他に1〜2本しか無い。
でも、アマチュアバンドとしては充分だと思う。
丁度同じ頃、道外でライブをしたバンドしか出れないと言う「SAPPORO BAND OF THE YEAR」が始まったばかりで、Phantom of sorrowはそのイベントの常連になり、皆勤賞をを得てる。

著名なバンドのOAとか、大きなイベントとか、とにかく「お客さん」が集まるライブしか演らないようになった。
だから、ライブの頻度は当初の半分位まで減ったのだが、逆に知名度は上がったと思う。

今回、10th記念ライブでも、ご来場頂いた8割が「お友達」ではなく「お客さん」だった。
まぁ、地元にいると結果顔見知りに成ってしまうので、「ガチでお客さんか?」と言えば、微妙な事も確かだが…。
しかしそれでもオレとしては物凄く喜ばしいことなのだ。
オレの持論は間違ってなかった。
5年の歳月を費やしたが、それでも「お客さん(リピーター)」がちゃんと集まってくれる。
5年前に決断しておいて良かったと思う。
「お客さん」に楽しんでもらうと言う、極当たり前のことがやっと出来るように成ってきた訳だから。

この5年間は毎年同じような活動が続いてた。
今思うと、前半の5年間の方が試行錯誤も含め、よりいろんなことに挑戦しようと思ってた気がする。
後半の5年間は前半5年間をベースとした活動方針に乗っ取って、ある意味安定した活動をしてきたと思う。
しかし、此れからの数年間は「安定した活動」だけではもう足りないと思っている。
First Stepはもう終わった。

[Second Step]

今回KAIN脱退を受けて、またPhantom of sorrowは半ば強制的に生まれ変わらなくては成らなくなった。
この生まれ変わりが、吉と出るか凶と出るかは今後の残ったメンバーと、まだ見ぬ新しいボーカリストによって決まるわけだ。
オレはSecond Stepを本気で考えねばならなく成ってきたようだ。

・年に数回遠征できるような経済的に安定したバンドにしたい。
・海外遠征も視野に入れたい。

この2つは、多分この先暫く目下の目標と成って居ると思う。
著名バンドですら「バンド単位で動くのは経費の面で厳しい」と言われている昨今に、ローカルのアマチュアバンドがバンド単位で動こうとしてるわけだ。
道が険しくないわけがない。

それでも、自分の理想はメンバー全員で出ていって、ライブ演奏をすることだ。
お客さんが多くなれば、経費も出せるように成るだろう。
最低でも100名位は当り前に動員できないと、経費も出ないけど。w

【フットスイッチ欲しいかも…。】

何年か前に、iPadを譜面にしようと思って、ページングするのにフットスイッチを買ったんですよ。
Bluetoothのやつですよ。
たしか、BOSSのフットスイッチセットで13000円位したんですよね。

こんな感じで、BOSSのFS-5Uで操作するタイプで、中々重宝してたんですがね。

何と言うか、ペダル自体はBOSS製品なので普通に問題ないんですが、繋がってる本体が正直華奢なんですよ。
だから、置き場所とか結構苦労する。
小さいからまぁ邪魔にはならないんですが、エフェクトボードとかに組み込むべきなのか、それとも別途場所を確保するべきなのか迷いましたけど、今は別途場所を確保する方向になってます。
しかし、13000円、結構勇気要りました。w
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【大手携帯キャリアって、相変わらず高くない?】

[ あれから2年経ったので契約を見直してみた。 ]

今月、iPhone6sの割賦支払いが終わった。
2年前に、それまでの端末が些か古くなりすぎてたので、機種交換をすることにした。
当時は、iPhone5と、iPad(第3世代)を3年間使ってて、世間は既にiPhone6sの時代に突入してて、しかもiPhone7が、あと1〜2ヶ月で発売になるというタイミングだった。
正直、機種代金の割賦払いにうんざりしてた所で、かと言ってAndroid端末にはいい思い出がないので、使いたくない。と言う我儘をなんとか満足させたい訳だ。
2年前は、それまで3年あまり使い込んでたiPhone5がいよいよ使えなくなってきたので、渋々機種交換した。
其の時に、iPadやPocket WiFiなんかも、同時に機種交換することで、幾らか安くなるのと、自宅のインターネットをSoftBankに統合することで、割引が受けられ、さらにトータルで安くなって、結果的に機種代の割賦を払っていても、月々5000円位安くなる計算になったからだ。

今回は、更に安くするために最近使わないPocket WiFiの契約解除を念頭に入れて再検討してみた。

スマホ本体をiPhoneXに、iPadはiPadPro12.9インチへ。Pocket WiFiはテザリングを使うことにして廃止。
このプランで計算してみた。 Continue reading “【大手携帯キャリアって、相変わらず高くない?】”

【売れるってどういうこと??】(久々の超長文w)

【米国の大手量販店から、CDが消えるそうだ…。】

http://fnmnl.tv/2018/02/05/46842?articleview=more

なので、ちょっとオレも真剣に「売る」って事を考えてみた。
結論から言うと、単体コンテンツとしては、音楽はもうオワコンなんだろうなと…。
まぁ、身も蓋も無い話だが、今後の音楽ってのは一部のマニアに向けたものか、「BGM」としてしか存在できなくなるんだろうなと…。
まぁ、そのメインの作品なり商品が売れれば、それに引きずられるように、そのBGMだった音楽もある程度は売れるんだろうけど、かつて音楽全盛期ほどの売上にはならないだろうね。
音楽は、本格的に稼ぎ方を変えなくちゃならない時代に突入したと思うよ。
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【Wishbone Ash Live Date 3 30th anniversary concert】

もうずーっとヘッドホンしてる訳だが…疲れてしまったので、先日購入したWishbone AshのDVDを見た。

Live Date 3 30th anniversary concert ってやつだ。

やっぱ、良いわ。
素晴らしいツインギター。
昔のキレは流石に無くなってるが、その分燻し銀の様な絶妙なルーズさが心地よい。

2000年頃のDVDなので、もう18年前って事なのだが、楽曲自体は70年代の曲で、「どんだけ懐メロよ?」って思うかもしれないけど、良いものは時代を超えて良いんですよ。

いつかはやってみたい、Wishbone Ash のコピーバンド。
( ´ ω ` )