子供の頃の夢
子供の頃って、将来に夢持ってましたよね。
将来どんな人になりたいか?って質問に、
オレの世代なら、男の子なら、パイロット!とか船長!とか、バスの運転手!辺りは定番でしょうか。
もしくは「仮面ライダー!」とか…。
「本気で成れると思ってんのかコイツ?」みたいな、残念なヤツも居ましたが。w
女の子なら、看護婦さん!とか、スチュワーデス!辺りですかね。
最近は、プリキュアとか言うんでしょうかね?(笑)
そんな頃にオレは何になりたかったかと言えば、それは「神様」でした。(爆)
もー、仮面ライダーどころじゃないです。w
「神様」ですから。www
絶対なれません。wwwwwwwwww
そりゃ、草も生えまくりますよ。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
でも、当時(小学校1〜2年生くらいの頃)は本気で思ってました。
ちゃんと行いを良くすれば、神様に成れると…。
オレの中の神様像ってのは、万人に好かれる、潔癖な、尊い存在な訳でしてね。
万人に好かれるには、良い人にならなきゃならんと。
更に尊い存在になるには、万人のために働き、自分個人のワガママやエゴは許されないんだと、自分勝手に決めてましてね。(笑)
1955年のスペインでの映画なんですが、「汚れなき悪戯」と言う作品を知ってる人は居るでしょうかね?
まぁ宗教映画なんですが、カンヌ映画祭特別賞受賞作品なので、知ってる方は知ってると思います。
それが当時TV放映されましてね。
それを見て思ったんですわ。
良い子で居れば神様に成れるんだ!
と、なんとも自分勝手な妄想が働きましてね(笑)そこから、「オレの神様への道」が始まるのです。
しかし、具体的に何をすれば良いのかさっぱり分からず、取り敢えず親の言う事をよく聞いて、逆らわず、拗ねず、素直にしてれば良いのかと思って、なるべく逆らわず、自分の感情も出来るだけ表に出さないように控えて、何時か神様が自分を迎えてくれると思ってました。
対処法を考えてみます。
目的:万人に好かれる
対処:他人の嫌がることはしない。八方美人(笑)
目的:潔癖
対処:不道徳はしない・常に万人にとって正しい行いをする。
目的:尊い
対処:これはもう死ぬしか無い(爆)
これが、小学生だったオレの思考です。w
どんなにイジメられても、報復できない。
どんなに辛くても、ずるいことは出来ない。
もう、手っ取り早く早く死にたい。
こんな小学生でした。w
しかしですな、人間は人間であって神様じゃない。
まして、オレが潔癖な訳もなく、自分の醜さに日々翻弄され、どんどん自己嫌悪に浸る日が続くわけです。
で、ある日諦める。w
もう、ドロドロに汚れてしまった自分は、神様になる資格など無いと自分に終止符を打ったわけです。
でも、夢って中々捨て切れないものなんですよ。
いつでも、何処かで潔癖で居ようとする。
だから、何かやましい事をしてしまうと、平常心で居られなくなる。
嘘をついたり、他人が嫌がることをしたりってのが、出来なくなる。
それは、思いやりとかそんなカッコイイものじゃなくて、自分保護なんですな。
自分の平常心を保つために、イジメられても我慢し、みんながズルイ事をしてても自分だけは正攻法を取るとか、でもそのせいでまたイジメが激化したりもする訳ですね。
で、何となくそんな中途半端な状態が、なんと40年以上も続いてるわけです。
今はもうオトナですから、嘘も方便ですし、時にはズルい事もします。
そんな種々の欲望に翻弄されつつ、それでもその欲望を何処かで否定したい自分が今だに存在してるんですね。
これはかなり心のバランスを崩してしまうんですね。
とても俗的な自分と、神になりたい自分がひとつの肉体を共有してるわけです。
時々、自分は二重人格じゃないか?と思う時があります。
一時期、この二人の自分が対立して1〜2年ほど苦しかったこともあります。
今は、両方の自分をコントロールする術を覚えたので、苦しむことは少なくなりましたが、時折片方の自分がもう片方を打ち負かすことがあります。
そうなると、もうバランスが崩れて、言動も若干おかしくなるようです。
酷くならないことを自分で祈ってますが、まぁ恐らく大丈夫でしょう。
多分、そのうち神に召されるでしょう。
そうすれば、俗な自分は抹殺され、潔癖な自分だけ神の御下へ行けるのでしょうかね?
仮にそうでも神様にはなれませんけどね…。