サブカルチャー?(って言葉今でもあるの?w)

数日前に、我らが Voice Works Sapporo の谷藤氏のBlogで、サブカルチャーについて書いてあった。
それを読んで、あ〜なるほどと思う反面、今までオレの中に有るのに自分で理解できなかったサブカルチャーに対する思いが少し見えたので覚え書き的に書いておこうと思う。

サブカルチャーの定義は色々あるみたいだが、オレはメインカルチャー(つまり今大流行のモノ)に対する、マイナーな存在として認識してる場合が多い。
谷藤氏解釈によると、「アングラ意識では決して無く、純粋に先進的なものをみんな求めて創ってた。」ものが、結果的にサブカルチャーと呼ばれてるようです。

この部分が「あーなるほど!」と思った部分だ。

オレは過去「サブカルチャー」と呼ばれる、モノ、ヒト、文化そのものに批判的でね。
どうにもしっくりこない。
なんで?と思っても自分の中で明確に言葉にならない。
まぁ、サブカルチャーって言葉そのものの定義も曖昧だしね、そういう事情もあった。

オレは谷藤氏と違って(笑)ワードの定義は重要だと思ってるんで、先に定義しとこう。w

日本におけるサブカルチャーってのは、ハイカルチャー(学問や文学、美術、音楽、演劇等)に対してのサブカルチャー(アニメや特撮、映画、漫画等の大衆文化)を指す場面が多いようだ。
オレの感覚だと、メインカルチャー(社会の支配的文化)に対する下位文化(マイノリティの文化事象)としてのサブカルチャーってのが近い。

なので、25年前の札幌の若者文化はオレ的にはまさに「サブカルチャー」だった。

80年代、日本ではサブカルチャーの大ブームが起きた。w
大ブームになってるってことは、既にメインカルチャーじゃねーの?wってー思いもあるのだが、まぁソコは置いといて…。w

当時の定義は「サブカルチャー」=「マイナーな趣味」程度のものだった。
だから、レトロ趣味とかの連中が自分たちはサブカルチャーの担い手だみたいな感覚で偉そうだった。w

オレは、そもそもカルチャーを語る資格のあるヤツって、その文化を創造してる奴に限るんじゃねーの?と思ってた。
(今でも思ってるが…。)

例えば、音楽を語る資格のある奴は、音楽を作ってる奴だけだよ。
だから、何も創造しない癖に、評論家とか言われてドヤ顔してる連中は大嫌いである。

オレの中のサブカル嫌いはこのへんから始まっている。
当時オレは高校生。w
「サブカルチャー」=「マイナーな趣味」時代の話だ。w

わかりやすいのは、多分「尾崎豊」だろう。

当時ヤツの楽曲はサブカルチャーの最先端だった。
(オレは毎度言うが、尾崎好きじゃない。でも、認めてはいる。)
それにノセられた若者は、みんな尾崎信者になった。
いわゆる「マイナーな音楽趣味」だ。
マイナーで有ることが偉かった。
オレはそれが大嫌いだった。

尾崎豊そのものはいいんだよ。
ヤツは、その音楽を作り文化(サブカルチャー)として発展させた、創造主だ。
だから尾崎がドヤ顔してても何ら問題ない。

問題なのは、何も創造してないくせに、尾崎の歌を聞いてその気になってドヤ顔になってる阿呆どもだ。

当時、尾崎はまだマイナーな存在だった。
それにいち早く気づいた連中が尾崎を支持しだした。
オレはまだ知らない。

で、とある友人に言われた。

友人:「オマエこれ知ってる?」

と尾崎を聞かされた。

オレ:「しらねーな?なにそれ?」
友人:「え?しらねーの?尾崎だよ、尾崎豊だよ!」

その友人はドヤ顔でオレを小馬鹿にしてた。w
で、本当に尾崎ファンに成ったのかと思えばそうじゃなかった。
彼は尾崎がマイナーだからこそのファンであって、有名になると「まだそんなもん聞いてるの?」って態度に変わるわけだ。

つまり「マイナーこそが偉い」わけだ。
彼にとっては、マイナーであれば、その中身はなんでも良かったのだ。
マイナーであればこその興味であって中身なんかまるっきり理解してなかったし、理解しようともしてなかった。

そういう輩が大嫌いになった瞬間だ。w

尾崎豊は一応メジャーなんだが、その内容からある意味サブカルのまま死んでしまったので、もうサブカル界では神扱いなわけだ。
なので、奴は再び尾崎ファンになるわけ。
で「やっぱ尾崎は青春の代弁者だよ!」みたいな、意味不明なわかった様な事を言い出す。

その後、まぁオレも色んな場面でいろんなヤツに出会うのだが、いわゆる「サブカルオタク」って言われてる連中には、そのマイナー文化を理解し、心底リスペクトしてる奴が殆ど居ない。
自分がマイナーな文化や存在を知っていると言うことに満足して、ドヤ顔で「自分はその他大勢とは違う」みたいな態度を醸し出す割に、中身が無いってか薄い。w

今時で言うと「ロキノン厨」のオールジャンル版みたいなもんだな。

ロキノン厨といえば、ロッキンオンは中学2年の頃読んでたわ。w
当時はまだロッキンオンジャパンじゃ無かったけど、同じ出版社のロック雑誌だった。
内容の半分はアーティストのインタビュー記事よりも、編集者(投稿者?)のアーティスト紹介記事ばかりで、内容の信憑性は低かったと思う。
まさに、厨2だった。w

当時オレがそれで発見したバンドは、まだ日本で売れる前のチープトリックだった。
ロッキンオンでの評判が良かったので、洋楽専門店(今はそんな店無いよな。w)で探して、LPレコード入手。
確か「蒼ざめたハイウェイ – In Color 」だったと思う。
当時本国アメリカでもまだ無名だったらしいが、聞いてみると「コレは売れるだろ!」と思った。
そしたら翌年来日してブレークした。

しかし、今思うと既にある程度の知名度があるから、雑誌に載ってたわけで、消してマイナーな存在では無かったわけだ。w
このへんの勘違いが厨2らしい。w

話しが逸れたが、サブカルチャーこそ創造が主体であって、創造主が自慢する類のジャンルじゃないのか?

つーことで、オレはサブカルチャーが嫌いなんじゃなくて、「自分じゃ何も創造できないくせにドヤ顔のサブカルオタクが嫌い」だったことに気がついたワケさ。w

終戦記念日を終えて、現代日本を考えてみる。

まぁ、オレは政治の専門家でも、経済の専門家でもない。
なので、専門的な話をするきもないし、そういう論争に参加する気もない。

こういう話を考える発端になったのは、庶民レベルの頭で、庶民レベルの常識で、庶民レベルで判断できる事を、なぜ国がやらないのか?って所に疑問を持ったところから始まっている。

今、政府は国民に対する背信行為を行なっています。
民主党はマニフェストを提示し政権を得たにもかかわらず、その内容は実行せず数年で分裂。
責任の所在は有耶無耶にされています。
理由の如何を問わずに、約束を守らないのは信用されないし、実社会では通用してない。
なので、十分背信行為であると言い切れるでしょう。

国民は、そんな政府の言うことに不信感を抱きつつも、政府の言いなりになっています。
というか、合法的な選択肢はそれしか与えられていない。
情報は操作され、メディアから流れてくる情報は、政府および支配階級にとって有益に作用する情報しか流れてこない。
国民にとって本当に有益で知るべき情報は、常に政府に規制され隠蔽され、知る由もない状態である。

この状況、何か似てませんかね?

大東亜戦争(太平洋戦争)時の日本の姿に…。

今は別に戦争はしてませんがとても良く似ている。
※一説には太平洋戦争は続行中であると言う見方もありますが…

ミッドウェー海戦敗北以後、大日本帝国は敗戦への道を歩き出すわけですが、大本営発表はそんな負け戦の話は報道しないんですね。
むしろ「新鋭潜水艦艦載機によるアメリカ本土爆撃!」みたいな、オレゴン州の森林をちょっと燃やしただけの戦果を大げさに発表してしまう。
だから、国民は支那事変以降、大日本帝国は勝ち続けてると信じてた。
この報道規制のお陰で、戦時中に3度に渡る地震津波災害で4000人以上の国内の一般市民が亡くなっていることも当時の国民のほとんどは知らされてないわけです。

つまり、戦時下において士気が下がるような報道は制限されていたわけです。
当時大本営発表以外の情報ツールを持たない国民は、それを信用するしかなかったんですね。
ここでも、他の合法的な選択肢は与えられていない。

しかし、さすがに昭和18年、アッツ島玉砕から「玉砕」って言葉の使用が始まり、翌年には南方の島では玉砕が相次ぎ、硫黄島が陥落し、本土空襲が始まればロクな知識など無くとも「もう負ける」って事は肌で感じるわけです。
それでも大本営は絶対に「もう負けます」とは言わない。
「一億総玉砕まで頑張りましょう!」と言うのです。

コレは「敗北宣言」なんですが、当時の洗脳された国民には、これが「敗北宣言」には聞こえないんですね。
つまり「敗北(負ける)」と言う概念は「玉砕」という「消滅しても負けではない」というおかしな概念に置き換えられている。
アッツ島の報道で「国民が全滅しても、負けを認めなければ(戦い続ければ)負けではない!」という、おかしな概念が埋め込まれたんです。

政府は報道規制をして、政府に都合の良い、つまり一部の支配階級に都合の良い情報しか流さない。
その情報が全てだと信じている国民は、実際の状況に不安を感じながらも「負ける」意識がない。
「負けました」と言わなきゃ(負けを認めなければ)負けじゃないみたいな、戦争と言う実際に国民の生命がかかってる話なのに、子供の喧嘩みたいな理論になってしまっていた。
神風特攻や桜花を作ったり、B29を竹槍で落とそうと言い出す時点で狂ってるんですが、それを狂ってるとは思わなくなってしまっている。

なので、戦争を続けることに対する疑問や不満を内に秘めたまま、したくもない戦争へ邁進することになる。
戦争に負けないために。
既に「勝つため」に戦争してないんですね。
「負けないため」に戦い続けるしか無いと言う、無限地獄を選んでしまったわけです。

またそれを選択しなければ、政府よりもなによりも、隣人より「非国民」と避難されてしまう。
戦争反対は国民として宜しくないと言う刷り込みによる隣人非難を、世論に定着させてしまってるわけです。
これは、実生活において一番厳しい境遇になるのでした。

そして今…。

国民は、不況や社会的な荒廃を感じつつも、明確な打開策が与えられず、ただ政府の言いなりで、原発稼働にも、TPP問題にも、増税法案にも、事実上口出しできない。

政府が発表する(つまり戦時中の大本営発表と同等ですな)政策や情報を鵜呑みにするしか選択肢は与えられず、長期間続けていると、どんどん麻痺してくる。
原発が動き出しても、気にする人も少なくなってくる。
増税されても、政府発表の試算を見て「まぁ仕方がない」と思う人が殆どで、恐らく消費税が上がっても、そのまま文句も言わずに買い物するんでしょう。
その政府発表の試算がどういうものかを分析・理解する人は、専門家以外には出てこないでしょうしね。
なので、事実上「嘘」(意図的に知らせないのは、嘘より質が悪い)の情報で騙されて、気がついたら「敗北」してる可能性が大きいわけです。
政府の玉音放送聞く頃には、我々庶民は全てを失ってますよ。

原発がメルトダウンして、放射能が漏れて今までの基準値じゃ都合が悪くなるわけです。
「じゃ安全基準値変えましょう。」とか、もう狂ってるとしか思えないんですが、それを狂ってると思わなくなってる。
状況に合わせて安全基準を変えてしまう政府は狂っています。
安全ってのは、状況によって変化するものじゃない。
絶対的な部分で守られるからこそ安全なんですね。
恐らく今後も安全基準がどんどん緩和されて、放射性物質を含んだ物資食料がどんどん全国を流通し全国民が死に至る事になるまで何も変わらないでしょう。

でもそれを「狂っています!」と声を上げる場所がない。
政府は何時だってそれを用意していない。
上げたところで、政府はもちろんメディアにすら無視され、その声は雑踏に消えるわけです。
実際にその安全基準に関する話は、以前は検索などしなくともネットに散見できたのに、今は殆ど見られなくなってる。
雑踏に消えかかってるんですね。

なので、デモ行進とか、署名運動とかになるわけですが、正直無駄。
しかし、それでも一部の人達は何もしないよりマシだと言う。

例えば原発反対の署名を集めて、政府や関係機関(つまり電力会社とかね)に提出して、原発を止めてくれと頼んだところで、彼らにとって署名など個人の名前が書かれた紙クズでしかない。
そこに明確な利害が反映されてないと誰も動かない。
ましてそんなものじゃ世の中は変えらない。

止めるには相応の理由が必要で、「危ないから」みたいな理由じゃ聞く耳など持たれるわけがない。
立場を変えて考えてみればわかると思う。
だれかが、「交通事故がこれだけ多くて、死者も沢山出てるのに、誰も車を排除しようとはしない。」と言ってましたが、まさにそのとおりなんですね。

原発も、安全に運用できれば問題ないのです。
車も安全運転すれば問題ないのです。

で、安全運転する人(出来る人)が少なくて事故が多発しても「車を止めろ!」と言わないのは、交通事故によるデメリットよりも、車社会の恩恵の方が大きいからなんですね。
つまり、隣人が事故死しても、ウチの車は無くならないんですよ。

電力会社は、地域住民が放射能で死んでも、原発稼働で得られる恩恵の方が大きければ、そんなもの無視するに決まってるんです。

例えばオレが、道庁の前で「政府は狂っています!」と声を枯らしたところで、誰に届くだろう?
それが1万人集まったって同じ事。
警察に(つまりコレは政府に)規制されながらデモ行進したところで、何になる?
誰の何を動かす?
誰か政府要人とか、官僚の心でも動かして、世の中が変わると思ってるのだろうか?
過去、デモ行進で世の中が変わったことが一度でもあるだろうか?

考えてみて欲しい。
それは、「竹槍でB29を落とす」ことに等しくないだろうか?
上空を飛ぶB29は竹槍じゃ絶対に落ちないんだが、国民はそれを知りつつも、竹槍を突き上げ鬼畜米英と叫ぶ「訓練」と言う茶番を演じていたわけだ。

今我々は、それじゃ何も変えられない事を知りつつ、デモ行進だの署名集めだのという茶番を演じてるのではないか?

そもそも政府は、政府がひっくり返るような事態になる可能性を含んだ事象は全て法律で制限してある。
破壊活動防止法(破防法)等でデモの規制なんかもされている。
つまり不穏な動きを察知したら、実行動に出る前に阻止できる枠組みがもう60年も前に出来上がってるんですな。

なのに今行なっているデモや署名が政府より許されているのはなぜか?
デモによって政府がひっくり返ることなど無いからに他ならない。
つまり、デモや署名で何かを変えようとしても無駄なんです。

体制をひっくり返すには、常に違法な行動に出なきゃならないわけです。

オウム真理教は自分たちの特異性故に世間から離反してゆき、それを逆恨みした形で、体制を変えようとした。
1995年サリン事件で大量殺人(テロ)を行った時に、この「破防法」では法解釈の問題で処分できず、やむなく「団体規制法」って別な法律が制定された。
つまり新しい法律作ってでも、謀反は起こさせない仕組みになってるわけです。
ま、オウム真理教は謀反というより、狂ってると思ってるんで、既に論外なのだが…。

オレは、今日の合法は明日の違法であることから、非合法行為が必ずしも「悪」であるとは思っていない。
例えば、インターネットダウンロード。
著作物のコピー又は著作物そのものをインターネットサーバーにアップロードしてそれをダウンロードする行為なのだが、この著作権ってのは、権利者が主張して初めて有効な権利なんだよね。
本来第三者が介入するような問題じゃない。

つまり、著作者が認めれば、それは違法でもなんでもないのだ。

それを第三者であるはずの国が管理しようとするのが、この法律なんだが、今まで違法じゃなかったことが、この10月より明確に違法行為になり刑事罰が課せられることになった。

これはなにか歪んでいるわけだが、その歪みを明確にできないし、ましてこの前哨戦であった2010年の著作権法の改正施行を詳しく知っている人は殆ど居ないだろう。
実は2010年の1月から既にダウンロードは違法になってたんだが、刑事罰がなかった。
今回は、そこの刑事罰を設けることになったわけで、その根拠は今もって明確じゃない。

2010年の法改正から、今回刑事罰化に至るまでどれほどの国民が関心を寄せ、意見をしてきたか。
ネット上では多くの反対意見を散見できたし、実際にデモ(50人規模の小さなものだったが)までしたが、結局その声は届かず、いつの間にか法制化されてしまっている。

こういうことを書くと、「いや、ちゃんとアナウンスがあったではないか!」と言う輩がどこかから湧いてくるが、「アナウンス」ってのは、ちゃんと誰もが知ることができる環境に置いて公示するから有効なわけで、どこかを探さなきゃならないようなのは、「アナウンス」とは言わないんだよね。
まして、一方的にアナウンスされたところで、意見があっても聞き入れられない状態。
つまり、政府のどこか民衆の目の届かないところで勝手に進められていて、国民の審議すら行うこと無く決められてゆくわけです。

結局、ポツダム宣言受諾より67年、我々は何も進化していないし、何も学んでいない。

非合法行為を率先するつもりはないが、それ以外に世の中は変えられないと思う…。
合法で居る限り、世の中は変わらないようにできてるんだから。
本気で何かを変えたいならば、合法とかそういう観点じゃなくて、確実に変えれる方法を選ぶべきなんだ。

それを選ばないって事は茶番でしかない事を自ら認めてるのと同じだと思う。

まぁ、思いつくままダラダラ書いたんで、支離滅裂感は拭えないが、言いたいことはコレで伝わると思う。

エレキギターの話。w

やっぱ、JEM良いわ。

ビブゼルの大野さんから譲っていただいたIbanez JEM 7V なんですが…。
ibanez_jem7vwhb.jpg
まだお金払ってません。(汗
※スミマセン!大野さん!(号泣)

で、前回のヴォイスワークスイヴェントで出動して以来、仕舞ってあったんですが、今回また登場するので引っ張りだして弾いてるんですが、コレがまた素晴らしい!w
てかこのギターあまりに弾きやすくて、コレ弾いてると他のギター弾きづらく感じて困るんですよ。
だから普段はあまり出さないんですが、結構高度なプレイが必要なときは、コレじゃないとキリリと弾けないんですよ。

なぜなら、抜けも立ち上がりも全然違う。
以前のRecallのメンバーに、「それ音イイね」と言われて、そうか〜と思ってたんですが、ま、「いい音」の定義が曖昧だからね、良し悪しは文章にし辛いんだけども…。

オレはプレーヤーなので、プレーヤーの立場からエレキギターの音の良し悪しを判断するに、大きく4つの要素があると思ってる。

1つは、響き(広がり)。

コレは、コードなんかを鳴らした時に、綺麗に聞こえるかどうかって感じの話ですね。
フレット音痴は論外の外。w
綺麗にチューニングできてても、コード弾くとなんとなく、濁ってていい気分になれないギターってあるじゃないですか。
ああいうのは、オレ的にはボツなんですよ。

まぁ、これも感覚勝負の話なんで、オレの感覚で許容範囲があって、その範囲内ならOKなんですね。

2つめは、サスティーン(持続)。

これは、単純に弦を弾いてそれが減衰して音がなくなるまでの時間の事。
長けりゃ長いほどよい…と以前は思っていたんですが、最近はある一定の範囲無いよりも長いと逆に使いづらく感じます。
だからといって伸びないのは嫌なんですね。w
コレも、自分の感覚で最低このくらいから、最高このくらいみたいな範囲に収まってればOKな話なのです。

この2点が合格していればオレ的に、とりあえずそのギターの音は合格。

そして3つ目は、弾きやすさ。

これは音には直接関係無さそうですが、結局弾く人間の弾きやすさは音色に影響するんで、無関係ではないんですね。
弾きやすくないとイイ音は出せない。
ネックが真っ直ぐで弦高も響きを殺さないギリギリまで低いってのが合格条件です。
これが満たせないギターはいい音でも、ウチのギター部屋から短期間で旅立ちます。w

最後4つ目は、音の速さ。

なんのこっちゃ?と思うかもしれませんが、ギタリストならわかると思います。
弦を弾いてから、音が出だすまでの時間がどの程度短いか?ってことですね。
コレが短いほど良いのです。
ま、多少遅いほうがブルージーなプレイはしやすいんですが、それだと早いパッセージはグチャグチャに聞こえちゃうんですね。
概ね、ネックに硬い材料を使ってるギターは音が早いですね。
更にボディーまで硬くすると音が早くてもなんか響きが悪くなってしまって偏っちゃうんで、オレは嫌いですけど。

で、JEMはどうなのかと…。

ウチにあるギターでは最高のバランスです。w

響きは、もっと響く奴もあるんですが、エレキギターとしてはこの程度が使いやすい。
サスティンも長すぎず短すぎず。
多分、オレ的には一番好きな、コントロールしやすい長さです。
弾きやすさは、かつて「スーパーウィザードネック」と呼ばれてた、幅広極薄ネックが大好きなので完璧です。
しかも、フィンガーボードのRもまるでクラシックギターみたいに平べったくてテクニカルな物でも弾きやすいです。
で、何より感動したのは、「速さ」ですね。

もう、弾く前から音が出てるんじゃないか?w と思うほど、早いです。

音を出そうと思う -> ピッキングする -> 弦を弾く -> 弦が振動を始める -> 心の準備が整う -> 音が出だす

みたいなプロセスがあるとすれば、JEMは、

音を出そうと思う -> 音が出だす!www

「あれ?オレ弾いたっけ?」って思うほど早いです。
自分の心の準備が出来る前に、音が出る感じです。www

コレがウチのギターの中では一番早いですね。

この気持ちよさは、使ったことのある人じゃなきゃ分からんでしょう。
当時30万ほどしてた高級ギターですが、伊達に高級じゃないですね。

作りもしっかりしてるし、精度が高いというか、さすが日本製で合わせも何もかも寸分の狂いもなく収まってて、全部が均一に響きだす感じがたまりません。
安いギターにありがちな、「どっかビビってるよね?」とか、「なんかガタつくね。」とか、そういうのは一切ありません。

カチっとした作りで、まるで、金属の削りだしでできてるんじゃないかってほどカチっとしてます。
メカニカルな感じがとっても素敵なギターですね。

さて、練習しようっと。www

Macのススメ(2

今バイトしてる会社で、社員の方の使用していたPC(Win7)が突然再起動したんだが、その後立ち上がらなくなった。
エラーメッセージを見ると、どうやらハードディスクが無い事になっている。
つまり、HDDを認識してないので立ち上がらない。
まずは、バラして別なバスにHDDは、をつないで起動させてみる…。
起動する。
HDDは生きてるようだ。
どうやら起動ドライブを繋いでいた0番のバスが死んだらしい。
ま、それをキッカケにPC買い替えの話が出た。
オレは「今から頼めば3ヶ月後には社長が買ってくれるんじゃない?(笑)」と言ったが、別な社員の方が、「Macなら直ぐ買ってくれるんじゃないかな?会社にMac1台も無いから。」と。
社長も居たので、社長を交えてPC談義になったのだが、社長はWindows派なので、Macには懐疑的だ。
オレは、前にも書いたように、色々検討した結果今はMacを利用している。
で、オレは社長や他の社員の方々に、Macの良さを力説した。w
ま、それでも中々良さってのは伝わりづらいんで、結果どういう印象になったのかは定かじゃないが、少しは理解してもらえたと思う。
まず欠点を考えてみた。
1)ハードウェアが高価。
2)Windowsの過去資産が利用できない場面が多い。
概ねこの2点だろう。
個人的には、もっと有るんだが…w例えば、10.3以前からMacを使ってるユーザーの大半が、Macユーザーと言うよりMac信者であること。
(笑)これは語弊があるが、オレの中では長年Macを敬遠してた一つの理由でも有る。
何故か知らないが、この手の古いMacユーザーは、Windowsをコキおろしたがる。
Macの利便性を強調するのは良いが、その手法が競争相手であるWindowsをこき下ろすことで相対的にMacは良いってことを主張sるっていうなんとも残念な場合が多い。
「Winはココとここが駄目だが、Macは大丈夫。」みたいな論法なのだ。
しかも、「Winはこういう所がいいんですよ。」って主張は全く聞き入れない。w
で、話してみるとWinのことは殆ど知らない奴が多い。w
なので説明しても頭ごなしに「Win使いは素人」みたいな上から目線の奴が異常に多い。
これが嫌でねぇ…。www
こんな連中と一緒にされたくないから、Mac便利そうだけど敬遠…みたいな。www
と、話が逸れたが…w1)ハードウェアが高価。
これね、確かに高い。w
同じレベルと思われるWin機と比べると約3倍の値段がする。
けど、オレの個人的な感想だと、Win機の3倍長持ちするんで、長い目で見れば高くない。w
何より、メンテナスフリーでも殆ど問題なく3年は使えてしまうし、10.6以降のOSを今のところ総て認識して快適に使えてる。
長年Winを愛用してきたのだが、実はWinでも国産メーカー製品は結構高い。
その代わり、Macに負けないだけの安定性も確保されてる。
バンドルされているソフトウェアも豊富だし、とりあえず買ってそのまま使える。
なのに、Win機が安いイメージなのは、所謂ショップオリジナルと言われる小売店で組み立てたPCがあるから。
そもそも、小売店が汎用パーツを寄せ集めたPCを組んでるわけで、そんな所にメーカー製並の安定性を求める方がどうかしてる。
メーカー製のPCは、商品企画・戦略にそって開発されているので、必要であれば専用部品などで強化されているし、安定性も確保されている。
けど、そうなると実はMacとさほど変わらない値段になるのだ。
例えばFujitsuのESPRIMOの23型液晶一体型(Win8)とか、i7QCの奴を選ぶと、結局259,800円。
FMVhttp://img1.kakaku.k-img.com/images/productimage/fullscale/K0000537965.jpg実売でも概ね19万位してる。
その代わり、抜群の安定性を見せる。
梱包を開けて、コンセント繋いで電源入れれば、数分で初期セットアップが終了し、即使える。
キーボードもマウスもBluetooth接続なので、コードが無い。
もちろん、自動認識するので、なんの手間もいらない。
後は、無線LANのパスワードがアレば即インターネットだ。
バンドルソフトも、コレでもか!って程インストされていて、オレにはウザいくらいだ。
もちろん、ワードもエクセルも初めから入ってる。
買って直ぐ使えるって部分ではMacに引けは取らない。
対してiMacの27インチ(OSX10.8.4)、i7QCモデルで、198000円。
iMachttp://images.apple.com/jp/imac/images/hero.png定価ベースだとむしろMacの方が安い。w
アップルはほとんど値引きしないから、この値段で買うしか無いのだがね。
バンドルソフトはもちろん総てアップルの純正ソフト。
ハデさはないが、確実に働いてくれそうな佇まいが良い。w
もちろんマルチメディアから表計算まで普通に使える。
OSは、最新のマウンテンライオンだしね。
もちろん、キーボードもマウスもBluetooth接続だし、カメラも内蔵されている。
更に、メーカー思想を反映してか、CDドライブがないが、その分メーカー提供のCloudが使えるのと、メーカー承認済みのソフトがDL販売で買えるので、事実上CDドライブを使うことが殆ど無い。
実際、オレもCDドライブを使うことが殆ど無い。
音源はmp3で保管だし、動画も殆どがYouTubeで間に合うので、DVDとかを差し込むことも殆ど無い。
最も、DVDは別にプレーヤーあるしね。
あと、Macは筐体がアルミなので、耐久性はおどろくほど高い。
オレの使ってるMacで一番古いのは2008年製のMBPだが、全く問題なく現役で使ってる。
車内に放置状態の持ち歩き専用ノートになってるがね。w
まぁ、正直Winでもこのレベルだと甲乙つけがたい。
どちらも今はインテルのCPUを搭載しており、ハードウェア的には言うほど差がない。
なのに、概ねMacの方が体感速度は早い。
これは前にも書いた通り。
ASUSやACERやDELLはもっと安い!って言うかもしれないが、品質を考えたら比べること自体がナンセンスだと直ぐに気づけると思う。
確かに海外(韓国や台湾)製品だとびっくりするほど安いけど、正直不安定だし、耐久性も無い。
買って数週間で粗大ごみになるPCも珍しくない。
それを、自身の知識とテクニックで蘇らせ使い倒すってのもアリってか、過去おれはそうしてきたが、その時間を肝心の制作に使いたいと思うと、もうWinのお守りをする気に成れない。w
in機はね、オレの感覚だとF1マシンみたいなもんでね。
メーカーが監修してしっかり作ったマシンは驚きの速さで走るが、プライベーターのマシンはまぁソコソコ。
でも、どちらも扱うにはかなりの専門知識とテクニックが必要。
Macは高級サルーン、まぁベンツみたいなもんでね。
必要以上に安定してて耐久性も高いし、装備もゴージャスでソコソコスピードも出るが、レーシングカー程じゃない。
特に知識もテクニックも必要なくドライブ程度なら誰でも乗れる。
まぁ、改造したらF1並に走ることも可能なポテンシャルは秘めてるが、そういう目的で普段乗りのベンツを買う人は殆ど居ないだろうしねぇ…。
オレは過去10年以上Winを使ってきて、散々改造もしたし、メーカー製品の凄さと冗長さも知ってるし、アジアンメイドの稚拙さも知ってるし、それに泣かされたことも多々あるが、今マックで泣くことは殆ど無い。
乗り換えた当初はあらら〜ってことが何度か有ったが、それはオレの慣れの問題で、慣れれば何も問題ない。
ウチのMacは電源入れっぱなしで数週間放置したりしてても、勝手に落ちたりしないでいつまでもスタンバイ状態で待機してる。
まぁ、Winが駄目とは思わないが、むしろ2年後に確実に時代遅れになるWinよりも、4年はそのままイケるMacの方が安上がりだと思ってる。
OSも高いしね、Winは。
Macは1700円で最新OSにアップグレードできるしね。
2)Windowsの過去資産が利用できない場面が多い。
そんなことはない。w
今時、データーファイルなんかどっちでも開けるからね。
よほどマニアックなフリーソフトでも使って無い限り、フォーマット違いでデーターが読めないなんて事は、今時まず殆ど無い。
これは、一昔前の評価が今だに実態を知らない人たちの間でまかり通ってるだけの幻影に過ぎないですよ。
実際オレは、Winで使ってたディスクをそのままMacに繋いでデーター引っ張りだして使ってます。
まぁ、ディスクのフォーマットが違うんで書き込むことは出来ませんが、読み出せれば充分でしょう。
エクセルのデーターもワードのデーターもパワーポイントも全部読めます。
画像も動画も問題ありません。
(この辺は別なフリーソフト必要ですけどね)昔はMacのフリーソフトって中々少なくて、ソフト揃えるだけでお金が〜みたいな感覚あったけど、今はフリーソフトも沢山出回っていて、選べるほどありますしね。
オレみたいにフリーソフトで環境作る人でも充分使えますよ。
で、利点。
1)Windowsがインストールできる。
ま、今となっては殆ど使うことがないですが、元Win使いとしては当初はコレが結構魅力的でした。
でも実際にMacになれると、Win別に要らなくね?ってなってHDD。
から削除〜みたいな感じです。w
2)画面が綺麗。
これは結構重要で、オレみたいに長時間画面の前に座る人は、確実に目が疲労します。
でも画面が細かくて綺麗だと、この疲労も少なくて済むんですよね。w
inの多くは画面はまず荒くて長時間見てられない。
発色もビビッドで素敵です。
まぁ、今な感じでMacお薦めしています。www

景気悪いね。

最近、ふと思ったことがある。
この景気の悪さはなんなんだろうと。

あ、因みにオレは経済の専門家でも何でもないですから、トンチンカンな事言ってるかもしれません。
その場合は、あぁ、無知なオヤジの戯言だと思って、生暖かく見守ってやって下さい。(笑)

でまぁ、切っ掛けはバブル崩壊でしょうね。
バブルが崩壊した時期と前後して、消費税が導入されて消費が一瞬落ち込むんだよね。
それで、崩壊に拍車がかかってしまってね。
国の政策が追いつかない、と言うよりは的確ではなかったの手伝って、更に悪化。
これは、97年の消費税増税が大きく貢献してしまい、更に消費が冷えて悪化の一途をたどる結果に成ってる。

バブル崩壊が始まった頃は、ちょうど今みたいな政権が不安定な時代だったんで、物事がスムーズに決まらない。
決まらないまま、時間だけが過ぎて言ったわけだ。
これって、病気を治療しないで放置してるのと同じで、悪化するのは当たり前だったんだよね。
この辺は、経済や政治の専門家なら常識として知ってた話なんだが、対応が全く素人だった。

そこへ95年阪神淡路大震災ですわ。
経済も何も一気にズタボロ。
政府は、復興資金確保のために、97年消費税増税。
これが、馬鹿だった。

一気に消費が冷え込み、さらなる悪化を招いた。
この流れって、今の状況に似てないかな?

東北地方太平洋沖地震で、不景気に拍車がかかってる昨今。
政府は相変わらずの政権不安定で、事実上無能。
そこへ、復興財源確保の増税案。

学んでない。
残念すぎる。

オレでもわかる程、学んでない。

まぁ、政府的にどうするのかは政治家に任せ、実際の消費者であり、経済の最先端を担う一般人として、この経済低迷を回復するためには何をすべきか。
よく、経済を動かしてるのは、大物政治家だとか、財閥だとか、大企業だとか思ってる連中いるけど、実は違うんだよ。

経済ってのは、消費があって初めて成り立つ。
消費がない所には経済はない。

そして消費するのは、我々庶民なんだよな。
つまり、経済の鍵を握ってるのは、我々庶民だってこと。

ココにまず気づいて欲しい。

で、昨今の状況を考えてみる。

まず、出生率が下がってる。
人口そのものは、まだ増えてるんだが、それは赤ん坊からジジババまで全部数えての話だ。
生産年齢層、つまり実際に金を使える連中がどのくらいいるかが問題なんだ。

出生率が、70年台初頭からじわじわ下がり始め、1971年に2.16だったのが、2010年には1.39まで下がってる。
それでも、最低だった2005年の1.29よりは持ち直してるのだが、どっちにしろ子供が増えない。
でも人口は増えてる。
これは、単に年寄りが死ななくなったんだ。
平均寿命が伸びてる。

1970年当時、71歳だった平均寿命が、去年は82歳まで伸びてる。
つまり、この40年で10歳伸びたわけだ。
でも考えて見て欲しいのは、70歳が80歳に伸びたところで、彼らは消費するのか?ってことなんだよな。
衣食住は定量を消費するだろうが、恐らく娯楽は若い人ほど消費しない。
つまり、車を買ったり、レジャーに出たりすることは殆ど無いだろうってことだ。
コレはつまり、経済に貢献してない(出来ない)層なんだよな。

そこで総務省統計局の資料で将来の世代人口を調べてみる。
この切り分けがどういう意図なのかしれないが、取り敢えず毎年の15歳〜64歳まで(生産年齢)の層を注目してみる。
これは事実上の経済活動を行うであろう世代って設定なんだろうけど、現代日本では15歳はまだ就学中で、経済活動は普通できない。
しかしまぁ資料がコレしかないのでざっくりな話で見てゆくことにする。

平成22年で、生産年齢層は、81,032千人となってる。
で、平成27年の予測では、76,807千人との予想。
さらに、平成37年には、70,960千人まで減る予定。

つまり、今は概ね8千万人居るわけです。
それが、3年後には7千6百万人に減るわけです。
4百万人減るってどういうことは想像できますかね?

オレはピンと来なかったんですが、1人の人の年収が300万程度とした場合に、×400万円の消費が無くなる事を意味してるんですね。
ざっくり計算すると約1兆円。

年間の消費が1兆円減るんですよ。
コレ、遠い将来じゃなくて3年後の話です。

コレ凄いことです。

で、今消費が減ると、まわりまわっていろんな所のお金がなくなって困る。
特に、国は税金が減るわけです。
人口減るんですから当たり前ですが。
でも、人口減っても税金は減らしたくない。
なので、増税となるわけです。

しかし、経済低迷で今は昭和60年代初頭の平均収入に落ち込んでいます。
そこへ増税食らうと、もう生活出来ない人が溢れ出す。
当然子供なんか作れない。
すると、将来の生産人口がまた減るわけですよ。
この悪循環は当面無くならないだろう。

で、やっと本題。

こういう状況下で、今の企業体質ってどうなってるんだろうか?

85年当時の様に「前年比120%必達!」とか未だにやってるバカ企業はないと思うが、もしそんなバカ企業にお勤めなら今直ぐ辞めた方がいい。(笑)

当時は、人口は増え続けるもしくは、減っててもまだ消費は冷えないって前提で活動してた。
実際、戦後の1945年から、2000年までは生産年齢人口は増え続けてたので、85年当時「来年はまた消費が拡大する」って考え方は間違いじゃなかった。

で、2000年を堺にその後の生産年齢人口は減る訳です。
この事実を会社の事業システムに取り入れられない企業がごっそり居るんですね。

なので、いつまでもバブル時代の方法論の焼き直しで商売しようとしてる。
それじゃ消費は伸びないのは当たり前だと、別に経済学者じゃなくても分かる話。
つまりは、「来年は減る。」って事を念頭に置いて、年間事業計画は立てなきゃならない。
前年比120%はありえない。
でも成長と言う意味合いでは、減らすわけにはゆかない。
じゃ、どーすんの?ってことなんだが、コレが今だに「量販」に夢持ってるバカ企業が多い。
特に「薄利多売」とかね。

オレに言わせれば全くもってバカ。

「薄利多売」は「量販」できる前提で成り立つ仕組み出会って、「量販」が難しい現代では通用しない仕組みなんですね。
わかりやすく言うと、「値下げすりゃ売れるだろ?」って話。
確かに、値下げすりゃある程度売れます。
即効性は確かにあります。
しかし持続性がない。

「薄利」な訳ですから、その状態が長く続くと、多売出来ないので、直ぐに体力消耗して倒産に追い込まれる。

「小規模で回せば、多売する必要がないから、経済が回復するまで頑張れる。」って言う、中小企業の社長さんが居ました。
「無理でしょう?」ってオレは思ったんですけどね。
みんなが安売りしてて、収入が増えなければ経済は絶対に回復しないわけです。
なので、この理屈は将来が見えてない典型なんですね。

キーワードは「専門化」にあると思うんですよ。

バブル崩壊以来、成長企業は何らかのジャンルに特化され専門家集団です。
特に、インターネット業界なんかはその好例ですね。

はじめから専門業種を担ってる企業なら、更に「特化」する方向で、利幅を上げてゆくしか無い。
「ウチにしか出来ない技術」なり、「ウチでしか売れない商品」ですね。
それらが、民衆にとって必要なものである事が重要です。
多売を伴わなくても、十分に利益を挙げれる需要を確保しなきゃならない。

恐らく必要のない業種って無いと思うので、どんな業種でも何らかの需要はあるわけですよ。
その需要をいかに確保するか。
安売り以外の方法を真剣に考えなきゃダメなんですね。

後10年もすると今の学生たちが消費活動に入ります。
その時に、彼らの興味を引ける事業をやれて無ければ、将来は無いでしょう。

もう一つは、無駄の排除。
政府でも仕分けとか何とかムダ排除をやってたようですが、アレは茶番でした。
理論通りに仕分けが働いてなかった。

無駄を排除ってのは、予算を削ることじゃないんですよね。
「予算を減らす」ってのは目標値であって、方法論じゃない。
つまり、無駄を無くしたいと言う到達点があって、その具体的な目標値が予算削減な訳でね、そのための方法論が仕分けだったはず。
しかし、予算削減が方法論に取って代わった瞬間、バランスを欠いたわけです。

で、何が無駄なのか。
スーパーコンピューターの研究費が無駄じゃないんですね。
大人数体制に成長してきた企業のベーシックなシステムを、少人数体制に作り変えることが、ムダ排除につながると思うんですよ。
経済人口が減ってるってことは、就労者も減ってるわけです。
なのに、大人数で働いてた当時のままのシステムで居たらそりゃムダだらけになるのは当然の話なんですね。

で、企業の殆どは人員削減で無駄を排除できると思ってる。
つまりバカなことに人件費が無駄だと思ってるんですね。
無駄減らさないで人減らしてどーすんの?ってことなんですが、

人減らす=失業者増える=消費が低迷=会社が儲からない=給料でない=消費が低迷=会社が儲からない=給料でない=(以下永遠に続く)

これが、もうシャレじゃなく現実のものに成ってるってわからんのかと。
20年も見てて気が付かないのかと。

で、システムを変える。
例えば、社用車を購入するとする。

人数が居るので、車の台数もそこそこ必要だとする。
量をまとめれば安く購入できる。(このへんがバブル脳)
車沢山買ってみんなで便利に営業。

だったと思う。
しかし今は人が居ない。だから…

人が少ないので、社用車は1台でいいや。
けして安くはないので、1台をどう使いまわすか考えよう。
日替わりにして使う人を決めて、スケジュール組んで営業しよう。

位はやらなきゃダメなんですわ。

少人数体制ってのはそういうことじゃないですかね。
で、大手の自動車メーカーの売上が下がる…と思われますが、メーカーが従来通りの売り方してたらそりゃ下がりますよね。
なのでメーカーは、大量に売ってた当時の値引きをまず止めます。
で、必要とされる車作りをしなきゃならない。
特化してゆくわけですね。

わかりやすいところで、「トラック」を専門で作ってるメーカーがありますよね。
「商用バン」って車種もあります。
最近だと「タクシー専用車」ってのもあります。
これって用途がどんどん特化されてるんですよね。

なので、今度は「営業専用車」を作ってみるとかね。

ハイブリッドで低燃費。
GPSナビは標準装備。
ダッシュボードに営業用コンピューターの取り付けが可能。

とかね。

同時に、メーカーの生産システムも少人数体制に切り替えて売上が下がっても、利益を下げない方法を考えなきゃならない。
つまり、「大量生産」の必要がもう無い所まで来ているんですね。
生産ラインを整理して、少数生産に切り替える代わりに、製品に付加価値を与える。

なので、当然単価は上がるが、相応の使い良さを追求すればいい。
その上で、自然淘汰される会社も出てるくるがそれは何時の時代だってある話なので今は考えません。
人口が増えればまたかつてのような経済成長も見られるだろうから、それまではある程度は仕方がないと思わなきゃならないんじゃないかな?

オレはギタリストなんで、楽器屋さんへよく行くのだが、ソコには安いエレキギターが大量に並んでいる。
見ると、ほぼ100%国内ブランドの海外製品。
生産国が、中国韓国はもとより、インドネシア、マレーシア等。海外で生産されてる安い商品が並んでるんですね。

作りから想像するに、恐らく日本の大量生産の技術を輸出して安い人件費の国で大量生産して、それを国内に逆輸入して売っているんだと思われます。

コレを売ってるうちは多分、楽器業界はこのまま衰退してしまうだろうね。
薄利多売の典型をいまだにやってる。

付加価値の少ない安い商品を大量に売りさばこうとしてる。
エレキシェア創世記の60〜70年代の方法論のままだ。

人が減ってるのに、あの当時よりも多い楽器を売ろうとしてるところが既におかしい。
1人で2本も3本もあの安いギターを買うわけがない。

あの安いギターを全部やめて、エレキギターは高いものと言う認識を植え付ければ、値引きの必要もなくなるし、安物エレキ10本分の利益を1本売れば得られるようになるはず。

店頭に放置してある安いエレキがどの位売れるのか知ら無いが、商品知識もろくに無いバカ店員を広い売り場に複数置くよりも、ある程度の狭い売り場に知識のある店員を一人置いて、1万円のギターをダラダラ売るんじゃなく、10万円のギターを時間かけて接客して売るほうが健全だと考えるのは違うのだろうか?

それが、少人数対策の商売だと思うし、市場の健全な育成に繋がるんじゃ無いか?と思う。

子供の頃の夢

子供の頃って、将来に夢持ってましたよね。

将来どんな人になりたいか?って質問に、
オレの世代なら、男の子なら、パイロット!とか船長!とか、バスの運転手!辺りは定番でしょうか。

もしくは「仮面ライダー!」とか…。

「本気で成れると思ってんのかコイツ?」みたいな、残念なヤツも居ましたが。w

女の子なら、看護婦さん!とか、スチュワーデス!辺りですかね。
最近は、プリキュアとか言うんでしょうかね?(笑)

そんな頃にオレは何になりたかったかと言えば、それは「神様」でした。(爆)

もー、仮面ライダーどころじゃないです。w

「神様」ですから。www

絶対なれません。wwwwwwwwww

そりゃ、草も生えまくりますよ。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

でも、当時(小学校1〜2年生くらいの頃)は本気で思ってました。
ちゃんと行いを良くすれば、神様に成れると…。

オレの中の神様像ってのは、万人に好かれる、潔癖な、尊い存在な訳でしてね。
万人に好かれるには、良い人にならなきゃならんと。
更に尊い存在になるには、万人のために働き、自分個人のワガママやエゴは許されないんだと、自分勝手に決めてましてね。(笑)

1955年のスペインでの映画なんですが、「汚れなき悪戯」と言う作品を知ってる人は居るでしょうかね?
まぁ宗教映画なんですが、カンヌ映画祭特別賞受賞作品なので、知ってる方は知ってると思います。
それが当時TV放映されましてね。

それを見て思ったんですわ。

良い子で居れば神様に成れるんだ!
と、なんとも自分勝手な妄想が働きましてね(笑)そこから、「オレの神様への道」が始まるのです。

しかし、具体的に何をすれば良いのかさっぱり分からず、取り敢えず親の言う事をよく聞いて、逆らわず、拗ねず、素直にしてれば良いのかと思って、なるべく逆らわず、自分の感情も出来るだけ表に出さないように控えて、何時か神様が自分を迎えてくれると思ってました。

対処法を考えてみます。

目的:万人に好かれる
対処:他人の嫌がることはしない。八方美人(笑)

目的:潔癖
対処:不道徳はしない・常に万人にとって正しい行いをする。

目的:尊い
対処:これはもう死ぬしか無い(爆)

これが、小学生だったオレの思考です。w

どんなにイジメられても、報復できない。
どんなに辛くても、ずるいことは出来ない。
もう、手っ取り早く早く死にたい。

こんな小学生でした。w

しかしですな、人間は人間であって神様じゃない。
まして、オレが潔癖な訳もなく、自分の醜さに日々翻弄され、どんどん自己嫌悪に浸る日が続くわけです。

で、ある日諦める。w

もう、ドロドロに汚れてしまった自分は、神様になる資格など無いと自分に終止符を打ったわけです。
でも、夢って中々捨て切れないものなんですよ。
いつでも、何処かで潔癖で居ようとする。
だから、何かやましい事をしてしまうと、平常心で居られなくなる。
嘘をついたり、他人が嫌がることをしたりってのが、出来なくなる。
それは、思いやりとかそんなカッコイイものじゃなくて、自分保護なんですな。

自分の平常心を保つために、イジメられても我慢し、みんながズルイ事をしてても自分だけは正攻法を取るとか、でもそのせいでまたイジメが激化したりもする訳ですね。

で、何となくそんな中途半端な状態が、なんと40年以上も続いてるわけです。

今はもうオトナですから、嘘も方便ですし、時にはズルい事もします。
そんな種々の欲望に翻弄されつつ、それでもその欲望を何処かで否定したい自分が今だに存在してるんですね。

これはかなり心のバランスを崩してしまうんですね。
とても俗的な自分と、神になりたい自分がひとつの肉体を共有してるわけです。
時々、自分は二重人格じゃないか?と思う時があります。

一時期、この二人の自分が対立して1〜2年ほど苦しかったこともあります。
今は、両方の自分をコントロールする術を覚えたので、苦しむことは少なくなりましたが、時折片方の自分がもう片方を打ち負かすことがあります。
そうなると、もうバランスが崩れて、言動も若干おかしくなるようです。

酷くならないことを自分で祈ってますが、まぁ恐らく大丈夫でしょう。

多分、そのうち神に召されるでしょう。
そうすれば、俗な自分は抹殺され、潔癖な自分だけ神の御下へ行けるのでしょうかね?

仮にそうでも神様にはなれませんけどね…。