ライブとかイベントとか…。

先日、良く行くダビンチでふさしぶりに生毒を吐いた。(笑)
ネットや、Twitterではよく毒吐いてるけど、生では久しぶりだったよ。

どんな毒吐いたか書いとこうと思う。

最近、札幌でも「アマチュア(インディーズ)バンド支援」見たいなスローガンで活動する「イベンター(っぽい人)」が増えてきましてね。
アチコチでライブ企画をしては、地元のアマチュアバンドやシンガーなんかを誘ってライブイヴェントやってます。

途中端折って結論言えば、

「アナタ達のやってる事は、バンド支援じゃなくて、バンドを利用した自分自身の売名行為じゃないの?」

って事なのよね。

なんで、オレがそう思ってるかと言うとね、彼らはバンドのことが先ず解ってない。

まず、バンドと一口に言っても、色んなスタンスで活動してるバンドが有る。
それらを全部まとめて、バンドとして評価してしまってる。
趣味のコピーバンドも、メジャーデビュー目指してるバンドも、同じフィールドで扱おうとしちゃってるんだよね。
それらを一つの企画イヴェントで扱ってしまおうって段階で、バンドには優しく無い。

「我々はフィールドを提供してるんであって、そこで戦うのはアーティスト側の仕事だろ。」と言われる事も有るけどね。
オレみたいな年寄りにソレを言うなら解るが、扱ってるバンドの殆どが、年端も行かない高校生バンドや精々20代のまだ世の中解ってないようなお子様バンドじゃんかよ。
そんな連中がそこまで自覚してるとは思えない。
それを承知でそう言う事を言ってしまうのはなんか、確信犯的でイヤだね。

フィールド提供といえば、例えば札幌ならベッシーホールのオーナーの名前を知ってる人は、札幌のミュージシャンで何人いるだろうか?彼の経歴を知ってる人は何人いるだろうか?
恐らく殆どの人は知らないだろうし、気にもしてないだろうね。
でも、彼らのような表に出てこない縁の下の力持ちやってる人こそが、その「フィールド」とやらを作ってくれてる人たちなんだよ。
誰も呼んでない自分でつけた通名名乗って、
即席の看板と名刺作って、聞いたこともないイベント名で「ライブ企画やってます!」みたいな連中は全然違う。

そんな即席の名刺もらって「企画やってる○○さんと知り合いになって云々…」と、嬉しそうに話してる若いバンドマン。
勘違いするな、そいつはただの目立ちたがり屋だ。
そんな奴と知りあったって、イベントに誘われる毎に法外なノルマ請求されて食い物にされるだけだ。

話がそれたが、「(札幌の音楽)シーンに貢献出来れば。」みたいな事を言う奴は、そこまで言うならもっとバンド活動しやすいような環境を作ってくれよと思う。
著名バンドやアーティストは顔パスで会場に通したり、明らかに始めたばかりの若いバンドに高いノルマを掛けてみたり、やってる事が「シーンを盛り上げる」方向には明らかに向いてない。
本当に、シーンを盛り上げたいなら、先ずバンド育ててくれよ!って感じ。

今の状態は、「道路の整備はしたが、肝心の車が走ってない状態」だ。
つまり、ライブハウスやイベント企画は沢山有るが、バンドやアーティストの数が圧倒的に少ないんだよ。
何処行っても毎回同じ面子が溢れてて、毎回同じことをしてる。
都市規模で集団オナニーしてる様にしか見えない。

まずコレを何とかしないとダメだと思うんだが、それを解決する方向で動いてるイベンター(のような人々)は居ない。
みんな、著名アーティストのお名前をお借りして、イベントや興行で客を呼んで、「私はコレだけの偉業をなし得ました!」的な事を言い出す。
それって、シーンを盛り上げたんじゃなくて、著名人を利用して自分の売名をしただけじゃねーの?と思う訳。

同じ金かけるならさ、もっと一般層にアピールするような企画とかさ、「バンドって楽しそうだな。」とか、「音楽っていいよね。」って思わせるような企画できねーのか?と思う。
企画やってますって言うなら、その位の事やって欲しいと思う。
そうする事で、明日のバンドマンやアーティストが生まれるんじゃないの?
そんな彼らが、明日のシーンを盛り上げてくれるんじゃないの?

幾ら道路工事に一生懸命でも、肝心の車が走ってないんじゃ意味ないんだよね。
まず、車作る所から始めてくれよと、マジ思う訳。

アサヒグラフ(グロ注意)

っつー本がありましてね。
その中で、1970年頃のアサヒグラフの中に、ソンミ村虐殺事件の写真が載ってまして。

それを見たのは、確か1972年。
小学校の図書室にあった、アサヒグラフを見てる時に発見したのです。
オレは小学校2年生でした。

アサヒグラフが小学校2年生の児童に容易に理解出来る本じゃない事は周知と思います。
そんな本が、小学校の図書室の蔵書として保管されていましてね。

当時、ベトナム戦争が休戦になって、世の中に少し平和な空気が流れ始めた頃で、オレはそのベトナム戦争に付いて調べようと、暇さえ有れば図書室に籠って本を漁っておりました。

その時に見つけたのがこの写真。
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※兵士が手にしているのは、ボロ雑巾ではなく、人間です。

オレは当時、単純に地雷か何かで吹き飛んだ、ベトナム戦争の写真だと思ってたので、そんな事件の写真だとは思っていませんでした。
この写真の記事は当時半分くらい読んだんですが、言い回しが難しく、漢字も半分も読めないので、小学生のオレには難し過ぎました。
なので、ソンミ村虐殺事件ってのは知りませんでした。

とにかく、この写真のインパクトが激しくて、その後何回もこの本を開き、この写真を眺め、なんでこんな事に成るんだろう?と子供ながら疑問に思っていました。

その後、図書室の本が整理され、小学生にふさわしくないと判断されたアサヒグラフや朝日年鑑は、いつの間にか図書室から姿を消していました。

あれから40年経った今もこの写真を超えるインパクトの写真は見た事が有りません。
オレの脳裏にがっつり焼き付いて離れなかったこの写真を、先ほど偶然見つけました。
調べてみると、68年のベトナムで起きたソンミ村虐殺事件の写真だと判明。

ベトナム戦争中の1968年3月16日、アメリカ軍兵士が非武装のベトナム民間人を虐殺した事件で、ソンミの虐殺はベトナム反戦運動のシンボルとなり、また国外でも大きな批判の声が起こってアメリカ軍が支持を失うきっかけとなった事件です。
※Wikipediaより。

アサヒグラフは大正時代から、つい2000年まで刊行していた息の長かった写真雑誌でした。
3.11東北地震の時に、一時的に復刻されて、地震記事を出した様ですが、基本的に2000年で休刊してます。

こういう情報雑誌は皆が見れるように電子データー化して、いつでもどこでも閲覧出来るようにして欲しい物です。

記事はともかく、写真は事実だと思うので。

まーこんな酷い写真は今時だと載せないんでしょうね。
刺激が強いとかなんとか言い出して、子供に見せるべきじゃないとかね。

むしろ逆ですよ。
このボロ雑巾と化した人間を見て、何を思うか。
個人に委ねてもいいと思うのです。

小学校2年生だったオレが、「戦争は良くない。」と思えたように、多くの人は同じ感想を持つと思う。
それが情操教育ってもんじゃねーかな?と思う。

オトナの事情でボロ雑巾にされた人をオトナが見たって意味が無い。
子供にこそ見せるべきで、「こんな大人になっちゃいけない!」って思わせなきゃダメなんじゃないか?

(`・ω・´)

 

色々あるよね〜。

最近、人が死ぬってことを考える機会が増えた気がする。
若かった頃夢中になってた芸能人やミュージシャンの訃報を聞く度、「えーあの人が!?」と思うのだが、よく考えるとまぁ、おかしくない年齢だったりする。

最近の日本人は人生80年って感じです。

つまり、40歳が折り返し地点。
この折り返すって感覚、40過ぎないと理解出来ないと思いますが、本当に40前後を境に色々大きな変化が起こるんですね。

で、それまでの40年を振り返ってみると、自分の意志である程度自由に行動出来るのは、まぁ成人してからだと思うんですよ。
早くても、ハイティーン時代からってことでしょうから、精々20〜25年なんですね。
今後の40年も同じように考えてみると、80歳まで生きたとしても、多分晩年の10年位は老人として過ごす訳で、自分の意志で自由な行動って訳には行かないだろうなと。
70過ぎても元気ですね!見たいな人も散見出来ますが、それが本人的に元気に快適かどうかは別な話ですしね。
どう考えても70代から見れば、60代や50代の頃の方が元気だったに違いない。
そういう現実を考えると、やっぱ、残り40年だとしても、事実上は30年弱しか「自由な時間」ってのは無いと思う。

この「自由な時間」をどう過ごすかって話はまた今度にして、今回は死ぬ事に限定して考えてみる。

まぁ、オレも後30〜40年もすりゃ黙ってても死ぬ訳だ。
それまでに何を…ってはなしは置いといて、その死ぬ時の状況を考える。

病床に臥せっての死なのか、さっきまで元気だったのに!って言うような突然死なのか。
はたまた、事故死とか、不測の事態による死なのか。

やっぱ、年老いてボロボロに成ってから死ぬのって今でも嫌なんですよ。
このまま、どんどん老けてからだが動かなくなって、誰かの世話にならないと何も出来ない状態に成ってから死ぬのは嫌だと。

出来れば、元気なうちにぽっくり死にたいと思うんですがね、「元気なうち」だと、多分「まだイケる!」と思うから、死ぬ気にはならないと思うのですよ。
だから、死なない。(笑)

という事は、事故死ってのがベストチョイスなんじゃないかと。(笑)

オレが好きなロックの世界では、狂人の凶弾に倒れた人物が結構居る。
その中でも、一般にも知られてるのは、ジョン・レノンじゃないかな?

彼は元気なうちに、銃で撃たれて死ぬ訳だが、詰まりコレは一種の事故死なんですね。
※殺人事件の被害者ってことはちょっと置いといてね。

例えば、交通事故で死ぬのもあまり変わらない。
元気なのに突然不慮の事故で死ぬって意味合いではね。

ランディーローズも若くして飛行機事故で死んだ。
他にも、麻薬中毒や副作用で若くして死んだミュージシャンやロッカーは沢山居る。

彼らの人生はどうだったんだろうか?とか考えるんですね。

20代で死んでしまったギタリスト、ジミ・ヘンドリクス。
天才ギタリストの名前を生前から恣にして、亡くなってからも永遠にこのまま語り継がれるんじゃないかと思う程、ロックギタリストには多大な影響を与え続けてる。
死因は、嘔吐物が詰まった事による窒息死と一般には言われているが、真相は解らない。
一説には、薬物副作用による嘔吐だとか、当時薬は使ってなかったから、単純に酒酔いの嘔吐だとか、諸説あるんですが、死因がなんであれ昨日まで元気だったジミが今日は居ないってことには変わりない。

で、ジミヘンは幸せだったのだろうかとか、27歳で死んだ事に対して何を思うのかとか、色々思いは巡るんですね。
もう死んでしまったジミヘンが自分の死に付いて物思うとは思えませんが、宗教的な見地からは、死んでも思うので、考え方としてはOKだと。。。(笑)

ジミヘンは、27歳で死んだ自分を振り返って、「良かった!」と思ってるんじゃないかと。

ジミヘンがあのまま生きてたとして、多分数年後にはその神通力も消え、もっと凄いギタリストが現れ、どんどん落ち目に成って行くだろう事は想像に難くない。
彼はあの時点で死んだからこそ後世に語り継がれてる訳でね。
生きてれば現実の人として、その後の新人類ギタリストと比較され、こき下ろされてると思う訳。
なぜなら、彼は黒人だから。

で、ヒットらしいヒットもでないまま、年老いて行く訳でね。
ジェフベックや、ジミーペイジ、エリッククラプトンがそれぞれの方向性で成功して行く中、一人年老いた黒人ミュージシャンって感じで、淋しい人生を送る事に成ったんじゃないか?と想像するんですよ。

それを考えると、あの時点で死んで正解だったのでは?と。
死んだからこそ、Steve Vai や Yngwie Malmsteen の様な天才ギタリストにも崇拝されてる訳でね。

オレもね、このまま何も残せないでただ老いて死んで行く人生が恐ろしい。
オレは誰にも看取られる事もないだろうし、悲しむ家族も居ないから、いつ死んでも良いんですが、ボロボロに成ってから死ぬのだけは嫌ですね。

オレの意志とは関係なく、元気なうちに「不慮の事故」ってヤツで死にたいなぁと思う今日この頃です。