新しい事…
さて、人生残すところ、せいぜい後30年と迫ってまいりました。
まぁ、つまりあと30年程で親父が死んだ歳になるって事なんですがね…。
で、思うところは、結構もう好き勝手にやりたいことやりつくしてまして、これといって新しい望みが無いんですね。
「もう、いつでも死ねる♪」
というか、死んでもいいやと思える。
人生に満足してるかと問われれば、特に満足感とか充足感を感じている訳じゃない。
しかし「出来ることはやった」って言う感じはある。
もちろん、やりたい欲求に対して出来ないことも沢山あるが、それは別にできないって事実があるだけで、それ以上でも、それ以下でもない。
出来なかったことに対する不満は無い。
となると、残りの人生がオレには無駄に思えてくるわけだ。
特に何かをする訳でもなく、ただ生きてるだけの人生。
で、「新しいこと」。
自分にとって新しい事って山のようにある訳です。
未経験な事は沢山あるんですが、別にそれらを経験したいとも思っていない。
望んでいないんですね。
望んでいない事を選択肢から排除すれば、オレには、もう新しい事と言う選択肢は存在しないんですよ。
何かを始めるにあたって、過去から現在まで一貫していることは、始める以上は満足するまでやるって事です。
別に主観でOKです。
客観的に出来て無くても、自分が満足すればそれは出来た事になってる。(笑)
でも、それで十分だったんですよ。
で、今後残りの人生を使って新しいことを始めようとすれば、当然自分が満足することが前提となって来ます。
でも、もう残り時間が無い。
あと30年なんです。
しかも、今と同じようにアクティブに動けると言う条件をつけると、精々20年。
20年で何が出来るだろう…つまり新しい事を始めて、寿命までに満足できるだろうか?って部分なんですよね。
何を始めたところで、寿命までに満足できそうに無い。
ならば、始め無い。
ってのが、オレの方針。
なので、やっぱりやることが無い。
残りの人生が無駄になる…。
特に何もしてなくても、息をするだけで経費がかかる。
経費をかけたところで、何かに満足できるわけじゃない。
これは、無駄だ。
早く死にたい。
と思っていた。
だからといって、自ら命を絶つようには出来てない。
そんな勇気無い。(笑)
じゃ、なんだろうか?
ここ数年、オレのテーマはココだったんですが、最近ふとしたことでひらめいた。
「そろそろ自分の満足の為ではなく、誰かの満足のために生きるべき。」
と言うテーマと言うか、啓示と言うか、そういう考えが浮かび始めた。
別に、熱心な何かの信者じゃないが、満足することも無く、ただ息をしてるだけの生活にまったく合理性を感じない。
なので、「死ぬべき」と思っていたが、この新しい考えだと、今後も命があることに、合理性が生まれる。
あぁ、まったく主観的な話だがね。
オレは自分の満足のために、過去沢山のわがままを通して己を貫いてきた。
時に流され、時に逆らい、生きてきた。
今、ココへ来てその元気と言うか生きる為の根拠を失っていた。
でも、新しい価値観の元では、それらはまったく意味を成さず、とりあえず命がある事が前提になってしまう。
「誰かのために何かをする。」
たぶん、オレの人生で過去このテーマを満足したことは無い。
自分が満足するわけじゃないのに、なんで自分が苦労するのかって考え方があるからだ。
しかし、現状はどうにも、こう考えるしか合理性を満足できない。
でも、生きるにはそれなりに、苦労するのだ。
その苦労をしてまで、誰かのためになるべきなのかと言う疑問は解消されたわけじゃ無い。
さて、これからこの新しいテーマについて悩む事になりそうだなぁ…。