アーサーホーランド氏の話

今回リアルサウンドのイベントに来て頂いたアーサーなんですが、彼の話を聞くのはまだ2回目なんです。
本やらDVDでは何度も聞いてるんですが、結局彼は何を伝えたいんだろうか?
頭の悪いオレには今ひとつ掴めてない。

魂(ソウル)を感じれば良いのだろうが、オレは技術屋肌なので、「構造を理解して初めてその知識が活用される。」と思うので、感じただけで理解してない連中は、恐らくはアーサーの話は半分も伝わってないか、勝手に勘違いしてるだけなんだろうなと推測するわけです。

じゃ「オマエは理解してるのか?」と問わればNOなんですがね…(苦笑

しかし、理解する努力はしてますよ。
オレも感じたんで、「オレは何を感じたのか?」、「どうして感じたのか?」って事を考えるステップに今居ると思ってます。
それが判れば初めてアーサーの話がオレの身になるんだろうなと思ってます。

なんでこんな事書いてるかと言うとね、見た目の派手さに惑わされて、事の本質を見落としているんじゃないかと不安になったんだよね。
確かに感じるんだが、何を感じて、どうして感じたのかが自分で理解できてない。

これはすごく危険なことだと思うんだ。
アーサーが魅力的であればあるほどに、危険性を孕んでいると思っているんだよね。

つまり彼には影響力がある。
話に説得力があるし、素人にも判り易い。

しかし、彼の見た目や営業的なポーズで、本当に影響されるべき部分が見えてないと、確実に間違った影響を受け、間違った解釈をすると思うんだよ。

なぜ、普通の牧師や聖職者と言われている連中が地味な佇まいなのかを改めて考えさせられた。

アーサーを見たときに、不良牧師として認知するのか、正規の手続きを経た正しい牧師と認知するのかって部分は実は重要だと思ったのさ。

しかし多くの自称アーサーファンは、“カッコイイ「不良牧師」”として認知していると思う。
アーサー流に言えば、「カァ~チョエェ~!」な訳だ。
しかしそれは彼の言葉を伝えやすくするための方法論・媒体でしかなく、彼の言葉の本質では無いってことを、ちゃんと理解すべきだと思うんだ。

実は逆説的に、見た目に惑わされてるのはオレ自身なのかもしれない。

つまり、オレはアーサーの見た目に惑わされて、何も理解して無い上に、感じたことまで何かの間違いなんじゃないか?って不安があるんだ。

だからこそ、自分のそういった感情の構造を調べて、「何を感じたのか?」、「なぜ感じたのか?」を追求するのは重要だと思ったんだよね。

人懐っこい笑顔で話すアーサーだが、ふと見せる厳しい表情の奥に光る眼が、本当のアーサーなんじゃないかって思う。
喋っている時の彼は、ライブ中のオレと同じで、魅せることに重点を置くことで、より本質を伝えやすくしようとしていると思う。
つまり、その状態は過剰に粉飾されている状態であり、粉飾に惑わされて本質を見抜くのは実は難しくなっている。
感動は伝わるが、何に感動したのか、どうして感動したのかを、的確に言葉に出来る人は極少ないだろう。

言葉にならない何かに気が付くことは大切だが、それを理解できないのであれば、気が付いても無駄になるだけだ。
人は、言葉で考える生き物であり、言葉で理解する生き物だ。
だから、自分の言葉に置き換えられないなら、それは何も身になって無いと言えるだろう。

果たして、抽象的、象徴的な表現をするアーサーの言葉を、理詰めで理解しようとするのは無理なのか?
しかしオレは、構造を把握しないと、その本質は判らない、理解できないと思っている。

実際、感覚人間というか、感性のみで生きてる人たちを見ると、多くは勘違いしているのが見て取れるし、またその勘違いに気が付いてない。
構造を知らないから、過程と結果の矛盾に気がつけない人が多いんだよね。

オレはアーサーの様に人々のために一肌脱ぐことは無いので、疑問は自分の中の疑問として持ち続けるし、それを誰かのために役立てようとは思ってない。
しかし、ブログに書くことで多くの人にの目に触れれば、オレの考えを見つめなおす機会が生まれるとも思う。

全ては自分のためなんだよね。